南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

おすすめヒューマンドラマ映画7選

誰もが「嘘」だと分かるようなことを平然と言う大人にはなりたくないよな・・と毎朝のニュースを読んで思う。恥ずかしくないのか?いや、恥ずかしくないからこういう大人なんだろうな。大人の恥。子供の手本にならない大人。そんな人が溢れてる世界。しかも政治の世界にもである。良い世界になんてならないなと思う。

 

先日のSFを選んだ時に、「デッド・ゾーン」を忘れたよなぁ・・と思い出したり。中古でやっと手に入れたDVDだったので、Blu-ray棚から外れてた。これはまた別の機会に。

さて、今回はおすすめのヒューマンドラマ。個人的には「ダンサー・イン・ザ・ダーク」がぶっちぎりな感じではあるんだけど、それは以前にも紹介したし、今更色々と書くのもやっぱり暗い気持ちになってしまいそうなのでリンクだけ。

blog.rei1963.net

それから、今までに紹介した映画でおすすめだなと思う映画は、最後にまとめてリンクを貼っておきます。

K-PAX 光の旅人

最初はこれ。SFファンタジーだとは思うんだけど、個人的にはヒューマンドラマとして分類してみた。

 ニューヨーク駅構内で不審人物として警察に拘束されるプロート。彼は自らを「K-PAX」という惑星から来た宇宙人だと主張する。彼の担当となった精神科医、パウエルは、その主張はもちろん信じなかった。ところが、プロートと接しているうちに同院で治療している患者が徐々に回復し、パウエル自らの家族との絆をも回復させていく。その一面で、彼が異星人であるという思える天文学への精通は、科学者たちも混乱させていく。彼の目的は何か?どうして彼は現れたのか?

いったい彼は何物か?結局最後までそれは明かされることはない。それがこの映画で想像力がかき立てられる部分である。接してみれば虚言妄想癖がある人物のように見える。しかし、天文学における証言で、科学者が絶句するほどの知識を披露するプロート演じるケビン・スペイシー。個人的に、彼が演じるキャラクターではこのプロートが一番好きだ。

彼が精神科病棟の人たちと触れあう中で、それまでに沈殿していた病棟の空気が徐々に明るいものに変わっていく。世界に色が付く・・そんな感じだろうか。そしてそれに影響を受け、回復していく人たち。彼の理路整然とした言葉ひとつひとつが癒やしであったり、問題解決へのキーワードであったりする。自分自身もこの映画を観て、色々と考えさせられることがある。最後に「彼は何物だったのか?」を語らず、観る物に委ねられるラストは感動を覚え、見事だと思う。

ビューティフル・マインド

天才数学者、ジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)はプリンストン大学院数学科に入学する。彼の夢は「この世のすべてを支配できる理論の発見」であった。ただ彼の心は大きなプレッシャーに病んで行く。妻のアリシア(ジェニファー・コネリー)の支えもあり、ついに画期的な「ゲーム理論」を発見する。

うーん、要約するとこんな感じだろうか。ただ、これだけだととても伝えきれないし、かといって細部を書くと面白さ半減だろう。精神を蝕まれ、幻覚や幻聴に悩まされながらも研究を続け、最終的には多くの研究者に賞賛されるジョン。しかし、それまでの道のりはとても険しい。強い信念が無ければこれだけのことをなし得ることはできないだろうし、彼の独特の思考パターンがついに結実するのだが、物語はそんな彼と周囲の人間関係に重きを置いていると思える。

この映画の面白いところは、友人、チャールズ役のポール・ベタニーの存在だろう。彼の存在がこの映画の至るところに大きな影響を与え、あまつさえその彼自身の存在が最終的に大きな意味を持つ。淡々と進む映像に退屈さを感じる人もいるだろうが、最後まで観ることでこの映画の良さが分かると思う。

メゾン・ド・ヒミコ

沙織(柴咲コウ)は、退屈で平坦な毎日を送っていた。そこに実の父親が末期癌だという知らせを受ける。父親はゲイであった。父親である卑弥呼は、ゲイの人たちのために老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を作り、自身もそこで暮らしていた。自分と母親を捨てた父を許せない沙織、卑弥呼の恋人であり、沙織と卑弥呼の関係を修復しようとする春彦(オダギリジョー)、そして「メゾン・ド・ヒミコ」の住人たちが織りなす人生の物語。

邦画を紹介するのって、「LoveLetter」以外、初めてじゃないかなぁ・・。

この映画を観て感じたことは、いかに「自分らしく生きることが難しいか」である。人生には様々な起伏はある。ただそれが、生まれついて持った自身の性指向がゲイである人たちが、どうやって自身にとっての幸せを掴むか。そして困難にどう立ち向かうかというポイントだろう。どうも日本はゲイに批判的で、この手の映画はなかなか観ないという人が多いだろう。ただ、「ゲイであること」を自分自身の別の「何か」に置き換えて考えれば良い。正直に自分に向き合うことは、ある時には痛みを伴うものである。誰でも自分の悪しき部分というのは持っていて、それは表には出せないものだろう。それを悩むことはある。ゲイは悪しきことではないが、そうやって自分と見つめあうのは酷く大変な作業であると思う。僕は病気で死と向き合った時に、自分の人生の意義と存在そのものと語り合う毎日を過ごした。だからこそ今の自分があるのであって、これは決して無駄なことでない。お勧めの映画である。

関係ないけれど、このロケ地。母親の地元で、建物の場所も様子も良く知っている。先日、前を車で通ってみたが、今でも同じ佇まいである建物を見て少しジーンと来た。

プラダを着た悪魔

大学を卒業しニューヨークでジャーナリストを目指すアンディ(アン・ハサウェイ)。 それが何故かファッション雑紙「ランウェイ」の編集部に就職することになった。そこは世界中の何百万もの女性が憧れる仕事。しかしその編集長ミランダ(メリル・ストリープ)は業界に対する絶大な影響力を誇る一方、横暴な君主のような存在だった。彼女は将来的に文芸誌での活躍を夢みるが、その足がかりとしてこの暴君に使えるのであった。

個人的に、アン・ハサウェイはキュートで大好きな女優である。このミランダは世界的なファッション雑誌「ヴォーグ」の 編集長であったアナ・ウインターがモデルとなっているとのこと。僕はファッション雑紙は読まないのでその辺はそう言われてもピンと来ないのだけれど、仕事に対する徹底的な妥協無き姿は凄いというか壮絶だと感じる。そこには個人的なモチベーションが存在しなければ、これだけの振る舞いはできないだろうし、だからこそ成功もしたのだろう。まあ、個人的にはこんな上司の下で働くのは御免被りたいのだが、それでも言葉ひとつひとつや行動には情熱と胆力がある。また、それを演じるメリル・ストリープはやっぱり良い女優だと思う。

それに対抗するアンディ。最初は田舎のちょっとシャイというよりは垢抜けない女性だったのだが、仕事に対しての負けん気は凄い。この「負けてなるものか!」という勢いは見習いたいところだ。その為の情報収集、行動力、へこたれない勇気に賞賛を送りたい。

この映画が面白いのは、そんな成長していくアンディとミランダの掛け合いの巧さにある。言葉ひとつひとつを取っても簡潔で容赦なく、裏表の無いストレートな意味があって心に刺さる。そして時折、クスリと笑える。成功を手にするには努力が必要だ。だが勘違いして欲しく無いのは「努力は必ず痛みを伴うもの」ではないと個人的に思うこと。それはオーバーヒートだ。努力とは、「良く考え、知恵と知識をもって臆せず行動すること」だと思う。だからこそアンディはこんなに輝いている。無理と努力はまったく違う。

普通の人が心の中を隠して体裁を繕うようなマネは一切しない。こういう本音のぶつかり合いは見ていて気持ち良い。罵倒することとは違うのだ。今の世間はこの辺がズレているんだと思う。優しい言葉だけかければ良いわけではなく、時には厳しいことも言わなければ本人のためにならない。罵倒を叱咤激励と勘違いしている輩も多い。その逆に表では甘言をささやき、裏で隠れてコソコソと暗躍することに長けているような人ばかりだ。そういう嫌な気分を、この映画はスカッ!とさせてくれる。

アバウト・シュミット

66歳で定年退職したウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)は、第二の人生の手始めに妻ヘレンとアメリカ中をトレーラーハウスで旅することを計画していた。ところがその妻が急死してしまう。彼はその時、妻の浮気、そして気に入らない男と娘の結婚と続けざまに起こる問題へのストレスと同時に、自分が社会にとって無価値な人間だと思えてしまうようになる。そんな時、彼はCMで見たアフリカの子供たちを援助するプログラムを知り、ほんの少しの気軽な気持ちで、少しでも自身が役に立つ人間であることを望み、顔も知らない6歳の少年ンドゥグの養父となる。

そして彼は気の進まないまま、娘のジーニーの結婚式のためにトレーラーハウスに一人乗り込み旅に出る。道中、様々なトラブルを起こし、望まない結婚式も無難にこなしたウォーレンにはもう人生の生き甲斐が何も残っていなかった。そこにンドゥグから絵だけの手紙が届く・・。

何と言うかなぁ・・僕自身の年齢と今の立場のせいもあって、こう・・「他人ごとじゃない」感が強くて、最初は心が拒絶反応を起こすというか。僕自身、いつの日か同じように人生が如何に無意味であったかを思い知らされる時が来るんじゃないかという、凄まじい恐怖。 だけれど、様々なトラブルが実寸大の「定年退職者」を表していて、そして最後にほんの気軽な気持ちで養子として援助していたンドゥグという少年からの手紙。これだけで救われた気持ちになる。自分が無価値な人間で無かったのは、他者との関わりにおいて、ほんの少しの思いやりだけで得ることができると分かる。人生とは他者との関係性でもあるのだと感じる一瞬でもある。この瞬間に僕自身も救われたような気がした。特に僕と同年代の方に観て欲しい映画でもある。

みんながみんなこういう気持ちでいてくれたらなと、切に願う。穏やかな人生であれ。

フィッシャー・キング

過激なラジオトークで人気DJのジャック(ジェフ・ブリッジス)。しかし彼のリスナーへの不用意な発言が、多くの犠牲者を出す銃の乱射事件となってしまう。仕事を干され、ヒモ同然となって暮らしを繋ぐジャック。ある夜、彼は浮浪者狩りの若者たちに襲われたところ、頭のイカレタ浮浪者パリー(ロビン・ウィリアムズ)に助けられる。彼は聖杯を探すことを神から与えられた使命と信じ、ジャックに一緒に探そうと手助けを頼む。イカレてるパリーに渋々ながらも付き合うジャック。いつしか彼は純粋で無垢なパリーに惹かれていく。だが実は、そこには過酷な現実が待っていた・・。

最初に思ったのは、ジェフ・ブリッジスもロビン・ウィリアムズも名優だ。しかし、それに負けないくらい、ジャックを支える一見粗暴にも見える恋人、リディア演じるマーセデス・ルールの巧さが光っている。彼女の存在がこの映画にひとつの「芯」みたいなものを与えていると感じる。言葉は荒いが強くて誠実。そして強さを備えた女性らしさ?が素晴らしい。こんな女性なら友だちになってみたい。自己中心的、情動的、近視眼的、想像力の欠如、そんな人とは友だちになりたくないが、彼女みたいな人は別だ。

全ての原因を作ったジャックの罪と贖罪とも言える物語だが、そこには人と人との暖かい絆が、共に相手と自分の魂を同時に癒やすことを教えてくれる。頭がイカレていようが、発言も行動も乱暴な元DJであろうが、人が他人を思いやる気持ちは損得以上のものを与えてくれる。それこそが人間社会だと思わせてくれる作品であると思う。最後のシーンで、セントラルパーク二人で真っ裸で星を仰ぐシーン。このシーンに言いたいことが全て描かれている。そう感じる映画であった。

アトランティスのこころ

幼い頃に父親を亡くしたボビー(アントン・イェルチン)は母親とふたり暮らし。そんなある日、空き部屋にひとりの老人テッド(アンソニー・ホプキンス)が住むことになった。テッドは幼いボビーに不思議なチカラを見せる。そしてテッドは、そのチカラのためにある組織から追われているのだとボビーに告げる。博識で厳格、そして優しいテッドとの友情。ボビーは組織からテッドを守るため、行動を起こす。

久し振りに見返してみて、ボビー役がアントン・イェルチンであることを知って驚いた。最近、彼は活躍しているね。新しい「スタートレック・シリーズ」でのチェコフ役、「ターミネーター4」でのカイル・リース役、「オッド・トーマス」での本人役。どれも違うアントンが見られる。

本作でのボビーは子供の頃には誰しも憧れるテッドの「不思議な能力」に最初は魅せられる。しかし、ボビーは徐々にテッドの魅力はそんな能力ではなく、母親と噛み合わない複雑な家庭に降り立った「父親代わり」的な信頼感、そして秘密を共有する友情に変わっていく。年の離れた二人の公平で真摯な友情。自分自身もこう言う本当に真摯な人柄を持つひとりの大人の姿に憧れる。自分だったら子供にこうやって接することができるだろうか?成長の糧となってあげられるだろうか?と。

全編に流れる穏やかで郷愁に似た雰囲気が、映画全体に「子供のひと夏の経験」のような物語を見せてくれる。これも好きな作品だ。

元々はスティーブン・キングの5つの小説の一部であるらしい。もう少し全体像を見たい・・そんな気になる映画である。

ほかにもあるけど・・

上記に挙げた作品以外にも「最強のふたり」とか「きみに読む物語」「フルモンティ」「レナードの朝」「フィラデルフィア」なんかも割と好きなんだけど、今回はこの7作に絞ってみた。「マダム・イン・ニューヨーク」は以前にも書いたけれど、他のまとめにあるので省いた。これも好きな作品である。

こういったヒューマンドラマはその内面をどう捉えるかによって評価も、自分自身の想いも変わるものだと思う。これはもう人の好きずきと一緒で、どれが良いとか悪いとかでは表せないんじゃないだろうか。だから、今回は、僕が誰かに勧めるのなら・・という視点で選択してみた。

冒頭に書いたように、今までのエントリーを貼っておきます。ご興味があればどうぞ。

blog.rei1963.net

blog.rei1963.net

blog.rei1963.net

blog.rei1963.net

blog.rei1963.net

blog.rei1963.net