南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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自分の人生でやりたいことを貫く幸せと困難(映画:リトルダンサー)

やっと4インチサイズのiPhoneが発表されて、このデカイiPhoneから開放されるかと思うと嬉しさもひとしおな朝です。まあ、まだ発売まで少し待たないといけないけれど。 

 

「自分の人生に満足していますか?」まずはこんなことが思い浮かぶ。

僕はやり甲斐を持って今の会社を選び、上京するまでの8年間は実に幸せだったと思う。まだまだ仕事も分からないなかで温かくも厳しい先輩たちに出会い、必死に仕事を覚える中で仕事そのものの楽しみを見いだしていた頃だった。大きな会社で組織的にはまったくフラットでは無かったが、各々が個を尊重し、できるものはできると認め、できないものには何が足りないかを真剣に議論していたような時期だった。

そして上京。最初に今の組織に来た時には驚いた。学歴による見事なまでのヒエラルキー。今の会社組織では、表面上はフラットでフランクな組織と内外に位置付けているが、厳格な階層社会の縮図の中において「能力主義」という評価判断の数字付けが事実上破綻しているようななか、仕事のトータルな能力における給与と昇進スピードの格差が人間関係を悪化させ、人格の根本を揺るがすような競争社会で成り立っている。今の会社は(まあ、社会全体を見渡しても同様だが)、経済によって世界が歪むことと同様の病巣を内包している。疲弊し、身体を蝕むことに気が付いた時には既に後戻りできない。端的に言えば、今の僕の状況でもある。

 

さて、前置きがとても長くなった。今日は、映画「リトル・ダンサー」である。

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英国の片田舎を舞台に作られたこの低予算映画は、当時、日本では話題性を欠いていたように思うが、イギリスで正当な評価を得、今ではミュージカルも高い評価を得ている。日本では2017年に舞台の上演が決定されているが、個人的にこの映画が高く評価されていることをとても嬉しく思う。人の見る目は腐りきってはいない。

 

いつものように、物語に簡単に触れよう。

イングランドの片田舎で炭鉱夫を努める父親の会社が、炭鉱不況による会社との賃金闘争の結果、ストライキ状況に陥っている。そんな家庭に生まれたビリー・エリオットは父親のボクシング好きもあってか、ジムに通わされボクシングを習っていた。

しかしビリーが興味を持ったのは、その隣で練習をする女の子たちがやっているバレエの練習であった。バレエに興味を持ったビリーは、周囲の軋轢を他所に、次第にバレーに惹かれていく・・

 まず先に、この映画に描かれているのはなにか?について考えてみたい。片田舎の貧しい炭鉱夫の子供、「男は強いもの」というストレオタイプな父親像、自身が何をやりたいかも掴めず、やっと興味を示したバレエは「女の子」がするものと決めつけられ、バレエを習うことも許されなかった主人公。

それでも「自分のしたいこと」に強く興味を持ち、押し付けられた生活に反抗を見せるビリーと、それが口だけではなく、実際に勉強し、練習し、そして天性の才能を徐々に開花させていく姿に心を揺り動かされる。

 

ここで強く感じることは、「男はこういうもの」という強いストレオタイプの押し付けである。幸いにして彼には才能もあったが、多くの世間ではこうもスムーズ(ってほどではないが)にはことは進んでいかないだろう。彼は恵まれてもいた。しかしそれは、親友で同性愛をひた隠しにするマイケルの存在も同様な意味を表している。それを強い意志で貫くビリーに僕は「羨望」を通り越して「嫉妬」すら感じる。自分の52年の人生はなんだったのか?と。

 

この映画での主張は、「なりたい自分になる」ということだろう。それは、父親から強行に反対され、バレエの先生でもあったウィルキンソン・コーチの目の前のダンスシーンからヒシヒシと伝わる。「本当の僕は違う!」「僕はバレエが好きなんだ!」という激情が迸り、炸裂する、父親の前で見せるダンスは圧巻だ。ここだけでも何度も観てしまうほどだ。習ったばかりの雑で荒削り、自由奔放なダンスだが、その感情の爆発はこのシーンだけでこの映画の主張を見事に表し、解き放たれた「自分」の存在が如何に素晴らしいかを表現するに値するものだ。

 

もちろん、映画の中では息子のバレエ留学のためにストライキの仲間を裏切るような形で仕事に戻る父親、そして事情を知った仲間達がカンパするシーン、父と同じように炭鉱夫である兄が弟を送り出すシーン、心温かいものはそこら中にちりばめられていて、それらに対する感動もある。それはそれで素晴らしく、涙を誘うシーンでもある。

最後の成長したビリーが初めて「舞う」姿を観るために劇場に足を運ぶ兄トニーと、父親、そして親友で同性愛者のマイケルの前に飛び立ったビリーは、まさに自分の意志を貫いた強い意志の象徴であり、それを助けてきた家族や友人の存在なくしてはあり得なかったことだろう。

しかし、最初に書いた通りに、これは家族という温かいヒューマニズムだけの物語ではない。「自分を自分として生きることの大切さ、そしてそれに伴う困難な道」を示した映画だと感じた。

 

若干オマケ気味のことも少し。

この主人公ビリー・エリオット役は、舞台である「イギリス北東部の訛りを持つ、ダンスが得意な少年」ということで、約2,000人の候補からジェイミー・ベルが選ばれた。映画好きでずっと映画を見続けている方にはもうお馴染みの顔だろう。ジェイミー・ベルは、本作で英国アカデミー賞の主演男優賞に輝いている。単にダンスが上手いだけではないのは映画を観れば分かる。そしてその後、多くの映画に出演しているが、個人的には「キングコング」の少年ジミー、そして「ジャンパー」のグリフィン役では主演のヘイデン・クリステンセンを食ってしまっていると感じる。背が大きいわけじゃない、ハンサムでもないが、その存在感がある演技が良かった。

 

多くのみなさんは、仕事を「家族を養うための手段」「余暇のために必要な資金を得る手段」と捉えざるを得ない状況にあるだろう。僕もそうだ。しかし、本当に自分のしたいことは何だったのか?と思い至るにあたり、自分にとってこの映画には「羨望」よりも「嫉妬」の方が多く存在すると感じたのである。加えて言っておくが、素晴らしい映画であることは間違い無い。お勧めの一作である。