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南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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陳腐な表現かも知れないが「言葉の魔術師」・・と呼びたい(小説:スキップ)

読書

前のエントリーで恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」について書いたのだけれど、なぜか妙に北村薫さんの「スキップ」が読みたくなって、早速買って一気読み。いやぁ、やっぱり素晴らしい。その紡ぎ出す言葉の美しさにため息が出る。活字の生き生きした様を改めて感じる。その部分に思わず付箋紙を貼ったりして。で、読み終えてみるとひとつのことを思い出す。「この本は僕が25年後になったらもう一度読んでみよう」と、確か31〜32歳の時に思ったということを。すっかりと忘れていたし、実際にはちょっと早めの再読となった。

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物語の本筋はシンプルだ。「ある日、うとうとと昼寝をしたら世界も自分自身の身体も25年後だった」というものだ。いや、今で言えば「シンプル」なのだが、この本が書かれた平成7年にはこの設定はタイムリープものとしてはトリッキーだったように思う。この物語の主人公は17歳の普通の女子高生。それがいきなり42歳の、それも高校の国語教師だったのである。僕が「25年後に再読」と思ったのは、この設定のおかげである。当然、自分自身はその25年間の記憶を持ち得るのだけれど、同様に「25年後」というものを考えてみたかったからだ。

さて、北村薫さんと言えば、そもそもが国語教師の経歴をお持ちでもある。であるのならこの物語は北村さんの引き出しのひとつとして容易に書けるのでは?と思うかも知れない。そこは是非、この作品を読んでいただきたい。高校における個々のイベントや授業風景、学生たちの様々な様子は分かるだろうが、それを現す表現力が並大抵のチカラではない。この年齢になって読み返すと、あまりにも多彩でビビット、そして前向きな主人公の心の真摯さの表現の見事さに打ちのめされる。とても勝てない・・勝ち負けの問題ではないが・・と思い知らされる。約22年前に読んだ時にはそうは感じなかったのであるから、僕もそれなりに若かったのだろう。北村さんは初期に「覆面作家」としてデビューしている。当時はとても男性が書いたとは思えないような少女像が書かれており、実際の執筆が男性だったと分かって驚かれたらしきことがネットにもある。確かにそうだ。色の細かい描写ひとつとっても、中年男性に「クレヨンで描いたような明るい柄のセーターに、青磁色のスラックス」だなんて表現ができるだろうか?女性作家のそういった、例えば服や物の色の表現の細やかさにはいつも感心する。僕なんて「青」「赤」「緑」「黄色」ってなもんだ。せいぜい「レモンイエロー」とかなら使うかも知れないが、そんな小説の色の表現に「これはどんな色なんだ?」と思うことも少なくない。まあ、僕自身の引き出しが少ないのでもあろう。北村さんはそういう表現が、「とても男性が書いたとは思えない」部分があると感じるのだ。

他にも、例えば17歳の女の子がいきなり教師になったら・・の細かい設定が舌を巻くほど巧い。当然、分からないことは山ほどあり、ある程度の予定調和っぽさも感じつつ物語を違和感なく進めて行く力量は並大抵ではないだろう。もちろん、本人が国語の教師として教壇に立っていた経歴もある。そして、その17歳の頃に世の中にあったものとして、「シャボン玉ホリデー」とか「ファンタ・オレンジ」とか、僕にとっても非常に懐かしき単語も出てくる。とは言っても僕にとっては小学生くらいに当たるわけで、それは北村さんが設定した主人公と僕との年齢差でもあるだろう。読んでいてとても懐かしい・・のだが、きっと今の若い人が知らないことがものすごくたくさんあると思う。

物語の主人公であり、時を一気に超えてしまった真理子は、17歳の記憶のままに周囲に気付かれずに高校三年の国語の教師を続けようとする。僕だったら?とてもできない。前述したように、そこはやっぱり作られた物語なのだとは思うのだが、その真っ直ぐで純粋な想いは若さ所以でもあろう。そこに自分が遠い過去に置き忘れた「何か」がある。その眩しいまでの輝きは、今の年齢から見ると直視できない程の輝きだと感じる。だが、それと同時にその置き忘れた「何か」の上に、しっかりと自分の22年間が乗っていることも同時に分かる。真理子にはその経験がないのだが、そこを夫の「桜木さん(そういえば下の名前はどこにも書いてなかったような・・)、娘の美也子が支える姿に感銘する。夫は夫なりの年月に応じた経験で、美也子は現代の若者として等身大の姿のまま「母親だった人」を支えるのである。特に、夫で同じ国語の教師である桜木さんは穏やかで機知に富み、素晴らしい人間像となっている。僕が憧れるのであればこういう人だ。妻の異変を「あり得ないこと」と思いつつも、その異変に実直に寄り添う姿はとても感動的だ。

今となっては若者が読むには少々古くさい表現となってしまっている部分もあるが、是非お勧めしたい一作であると思う。きっと、その表現に心が豊かな気持ちになるだろう。ちなみに、僕が付箋紙を付けた(もの凄くたくさん付けたのだが)中で一番好きな言葉は、夫である桜木さんが、現代の国語教師になろうとして奮闘する真理子に言うセリフ、「きみに力があって、やる気があって、必要性があるからさ」という言葉。押し付けもなく、優しさもあり、本人のこれまでの人生で積み上げたものを評価し、そして後押ししてくれる言葉だと思う。僕もこんなことが言えるような年配者になりたいものだ。