南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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ウルトラ凄かった阿部孝夫さん(バイクレーサー)の思い出

いつの間にか新年度を迎えて、気が付けば上司が替わっているらしい・・というのは、僕は病気休暇中であるからなのだが。そのせいか「新年度」と言われてもピンと来ない。まあ、そんな新年度を迎えたのである。

 

今日、下記の記事を読んだ。

gigazine.net

これ、ロードレース(オートバイ)では昔から常識で、「キング・ケニー」こと、ケニー・ロバーツがかなりハッキリとやっていたのを思い出す。

で、当時のことを色々と考えていて、「阿部孝夫さん」に思いを馳せていた。

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当時、ロードレーサーとしてはかなり太っていて(80kgってことだったけれど、実際にはもっとあったんじゃないかな?)、それが非力な125ccで優勝しちゃったりするもんだから、色々と条件がイーブンなら阿部さんがGP500で優勝しちゃうシーズンもあったんじゃないかなぁ・・なんて思い出している。

基本的には開発ライダーだったけれども、マシン造りの理論でこの人に敵う人はいなかったんじゃないかな?アクセル開度を8分の1とか考えられない細かい単位で分析したりとキャブレーションにとてもこだわった方だったし、ステップでの荷重移動についての解説が分かり易かったよなぁ・・と思い出す。

阿部さんと言えば開発ライダーとして国内4メーカーを全て渡り歩いた人でもあった。それだけ有能であった証でもあろう。当時、世界で活躍していたトップライダーのマシンを開発していたのが阿部さんなのだ。

 

実は、僕がレースをしていた頃に乗っていた「HONDA RS125」は阿部さんの店で買ったものだ。レースを止めてから漁師になった阿部さんは、レーサーだった当時から浜松でバイク屋をしていたからだ。レーサーを買うなら阿部さんのところ。そう決めていて、お店にも何度も行ったことがある。ただ、奥さん(おっかさん)や他のライダーなんかにも会ったことがあるけれど、阿部さん本人には2回しか顔を合わせていない。いつも仏頂面で、大酒飲みだったこともあるから「二日酔いなんかな?」くらいに思っていたけれど、ちょっとだけしか会話をしたことがない。それもバイクとは関係無い話しで、何を話したのかすら覚えていない。

雑紙などで評される阿部さんは「いつもニコやかで優しいオジサン」みたいに書いてあったが、僕はそんなことで「怖いオジサン」という印象だったのを覚えている。

 

ただ、ライダーとして、とてもとても尊敬していた。雑紙などのコメントの的確さ、他のライダーや開発者インタビューでの彼の評価などもそうだけれど、あの丸っこい身体をひらりひらりと左右に切り返しながら鈴鹿のS字を抜ける様は、一見すると滑稽にも見えるのだけれど、実際には凄い速度で抜けていく。レースにおいても、開発ライダーという立場でありながら、常に上位を走る実力を持っていた。85年の日本GPでも、走る予定だったフレディ・スペンサーが予選で転倒し怪我で欠場したマシンを、データ収集のためにと走らせたのだが、予選で堂々と3列目。確か、スーパーバイクだったか耐久レースだったかでも、代役かなんかでいきなり走ってポールポジションだったりと色々な伝説があったはずだ。慣れないマシンでも、軽量級でも重量級でも何に乗せても晴れでも雨でも速かった阿部さん。本当に尊敬していた。

 

大酒飲みが災いしたのか、享年59歳とあまりにも早足で人生を駆け抜けた彼のことを、今でも懐かしく、尊敬し、そして敬愛している人たちがたくさんいることと思う。

残念なことに阿部さんの情報はネットでも少なく、確か家にも彼の解説記事とか合ったような気がするんだが・・と探してみたが無かった。残念。

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ちょっと懐かしい話しをしてみたが、今の人たちは知らないだろうね。あの偉大なライダーを。