以前から何度も書いているのだけれど、ウチの会社は組織の多段ヒエラルキーに則り、単年度評価の悪癖が各段階での責任意識の低下を招いている。
結果的にひとつの案件を決定するのも大人数で会議を重ね、時間をかけ、最終的に奇抜なもの、コスト(稼動も含む)が突出したようなものや理解できないものを排除していくことになる。
で、研究開発組織であるにも関わらず、出来上がったものは「無難」で「他にもある似たようなもの」になり、社会に対して何かを訴求できるものにはならない。正に以下に書いてあるのと同じことをやっている。まあ、ペーパーレスは進んでるかな。(^_^;)
これに付け加えるのなら、
- 日本の組織は人格を評価しない
と言うところだろうか。成果/数字優先。どんなに仕事ができても道徳観の欠如した人間が集合していたら腐った組織にしかならない。数字を上げたものが評価され給与に格差が付き、昇進する。ところがプレイヤーがそのままマネージャーでも通じるのは希だ。だからこそ人格の伴ったプレイヤー/マネージャーを獲得しなければならない。今の評価精度はそこがなおざりになっている。
こんな話を聞いたことがある。伝聞で真偽は定かでは無いがご勘弁を。
仕事はデキるタイプじゃないが、その人がいるだけで周囲が明るくなる社員がいた。職場は清潔に保たれ、笑顔の絶えない職場だった。人を罵倒したり嬌声を上げることもない穏やかな職場。しかし成果がもう少し欲しい。上司は結局その人を切り、もっと成果を上げられそうな人を登用することにした。
しかし、その後その部署の生産性は落ちていき、職場は暗くなり、精神を病むものまで出てきた。これはひとつの例だが、ウチの会社でも現実に起きていることである。
ただ、こういう土壌であっても、先を読み、頭の切れ、胆力のある人間が組織長になると途端に話しが変わってくる。こういう時には日本人的同調が「ある程度」功を奏することがある。嫌いな言葉だが「カリスマ経営者」みたいなものかも知れない。
今の組織長はそういうタイプだ。ただ、いかんせん会社組織が大きすぎる。彼がもう二段階ほどヒエラルキーを上がれば、おそらくウチの会社も少しはまともになるかな・・と少し期待している。
まあ、その時には僕はもう会社にいないがね。