南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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【ネタバレ】個人と国家の正義(映画:ブリッジ・オブ・スパイ)

どうも全容が見えなくて、名前からするとスパイのドンパチ映画にも思えるし、出ている俳優を見ればヒューマンドラマだと分かる。そしてオスカーでマーク・ライランスが助演男優賞を獲得したために、既に予備知識として頭の中にある種の「偏見」が構成される。こういう映画はもっとフラットな状態で観るべきだな・・と毎回思うんだが、なかなかそうもうまくいかないものだ。

ということで、やっと「ブリッジ・オブ・スパイ」を観てみた。 

 終戦後の東西冷戦下、アメリカで諜報活動を行っていたルドルフ・アベル(マーク・ライランス)はスパイ容疑で逮捕される。彼には国選弁護人としてジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)が付けられる。ドノバンはアベルに会い、冷戦下で続いている「戦争」を肌で感じることになる。そして彼は、同時期にソ連に拘束されたCIA諜報員パワーズと、偶然、東ベルリンにて「ベルリンの壁」を構築している際に拘束されてしまったアメリカ人学生、プライヤーとの捕虜交換に奔走することとなる。果たして交渉は成功するのか?

ストーリーをこうやってまとめてしまうと単純な物語に見えるだろう。個人的にこの映画に込められた想いは、「国家と個人の正義」であると思う。国家の思惑と個人の意志。そこに横たわる「冷戦」が非常に細やかに配置されている。

それは、ベルリンの壁を作る場面(恥ずかしいことに、この映画を契機に調べるとベルリンの壁は東ドイツ内に輪のように作られた民主主義国家の飛び島だったと初めて知った)、裁判でのそれに対する国家としての立場、アベルとパワーズへの尋問、ドノバンと他の弁護士とのやりとり、そして家族を含む危険を理解した上で行動する、ドノバン個人として「アベルを家族の元に返したい」そして「法を守る」という強い思いに込められている。ここに介在するのは「国家としての立場」と「人としての思い」だ。ドノバンが優先したのはあくまで「人としての思い」である。

実際に時代背景としての実情を知らない身としては、この細かい描写に圧倒される。似たような映画はたくさん観てきた。しかし、尋問や裁判、両国の弁護士同士の交渉、そしてソ連とアメリカではなく、東ベルリンを通じて「双方の国家間のやりとりではない」と主張するそれぞれの国の事情。卓越していると感じたのは、それに一般人のプライヤーを絡ませてきたこと。ここに「個人の自由」を主張するドノバンの強い意志が明確に現れている。

 

アベルはどうか?国のために長い期間を尽くしてきた彼の国家への忠誠の実直さは、その淡々と見えない表情に、短い会話の中に見える。それは同時に、彼が国家としてではなく、個人としての正直さを表した結果であろう。ここにも「国家」と「個人」が綿密に描かれていると感じた。そしてこの演技を高く評価されたであろうことは疑う余地がない。オスカー俳優・・どうしても頭によぎるが、それを差し引いてもその細やかな演技は素晴らしいと思う。

 

個人的な感慨深いシーンは、アベルの言葉に尽きる。ドノバンに「不安か?」と訊かれ、「それは役に立つのか?」と何度も答えるアベル。そうなんだよ。分からない未来に抱く不安は何の役にも立たない。もちろん、そこから予想できる悪い自体への対処のためにある程度は「役に立つ」のだろうとは思う。しかし、ここで何もできないアベルに取って「不安」はアベル個人にとっては何の意味も成さない。確か、この会話は3回繰り返されたと思う。それも絶妙なタイミングで。アベルが忠誠をしていたのは、国家ではない。あくまで個人の正義なのだと実感される。素晴らしいシーンだ。

 

何でも「言葉で説明したがる映画」はたくさんある。しかし、俳優の演技によって、その場の状況を滲ませ、その背景と連想する未来を見せてくれる映画は少ない。この映画もその数少ない映画だろう。一見すると退屈するようなシーンであっても、そこには全体を見渡すと冷戦と個人を表す貴重なシーンであったことが良く分かる。印象的なのは、ドノバンの活躍を電車内で新聞で読んでいる女性の表情もそうだろう。世間とはそういうものだと思う。他人の事情など誰も知りはしない。それに踊らされることを愚かだとは言わないが、その結果、ドノバン宅を銃撃するような馬鹿なマネをするような流されない自分でありたいと思う。しかし、ドノバンはおそらくこれを「評価された」とは思わないだろう。自分の正義のための行動に評価はいらないのだと改めて感じさせられるシーンでもある。

また、最後に塀を軽々と乗り越える子供たちのシーン。ここにドノバンが東ベルリンでベルリンの壁を乗り越えようとして殺害される人たちのシーンをだぶらせてある。個人の自由とは何か?それは国家を優先するようなものなのか?その心情がドノバンの中にあるのだと思うし、僕もそれは同感だ。自分と自分の大切な人たち。それが僕の世界であり、それを守り、そして自分も幸せに生きるために存在している。決して「誰かのため」ではない。それを支援することがドノバンの生き甲斐でもあるのだろう。それは最後の字幕で、その後の活躍を見ても分かる。

 

アベルがドノバンに感謝の気持ちとして、ドノバンを描いた絵を送る。ここにあるものがドノバンへのメッセージでもあるのだろう。国家の争いの中、自分を貫いたドノバンの姿がこの絵に詰まっている。僕にとって、ここが一番の感動のシーンである。

 

これも良い映画だ。楽しい映画ではないかも知れないが、そもそも映画を観たり小説を読む行為はなんのためだ?と、こういった映画に出会うと思い出す。自分の楽しみのためであることと同時に、自分を見つめ直す機会を与えてくれるものだと僕は考えている。これも手元に置いておきたい・・そんな映画である。