南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

盆休みにて帰省すべし

世間的にも自分的にも盆休みになった。今は父親がすでに他界し(Michael Jacksonと同じ命日)、母親が実家で猫2匹と暮らしている。母親独りでは寂しいだろうとGW、夏休み、正月休みには実家に帰省することにしているのだ。

 

で、今日、これから家を出て実家に向かう。ちなみに実家は静岡で、自宅からだと途中でレンタカーも借り、トータルで新幹線を使って4時間ほどかかる。僕は足が悪いからチケットはもう随分前に予約済み。そういう意味では特に焦って行く必要もない。

 

夏休みだし、少し自分語りをしてしまおう。

 

家は貧乏だった。父親は働いておらず、たまに自動織機の修理をアルバイトでしていた。いつもはパチンコか競艇にいるのが常。小学生の頃に教師に「お父さんのお仕事と連絡先を書いて下さい」と言われて随分困った記憶がある。正直に「パチンコ○○店でパチンコをしているのでここに連絡して下さい」と書いたら教師に怒られた記憶がある。正直に書いたのに。

 

なので僕と兄は母親に育てられたようなものだ。

 

母は早朝から深夜まで、やはり自動織機の工場で働いていた。そこの小さな部屋を間借りしていた。僕の記憶は小学生にあがる前からたくさんあるので、当時のことも良く覚えている。

母親は良家の娘で、今で言う「お嬢様」。悪いオトコに引っ掛かったものである。優しく思いやりがあり、スポーツもできる才女であった。誰にでも自慢できる人格を持った母親。そして美女である。息子の自分が言うのもなんだが、当時であればオードリー・ヘプバーン、今だと「アメイジングスパイダーマン」に出ているサリー・フィールドにソックリだ。僕とは23歳離れているから既に75歳だが、今でも若々しい。

 

まあ、そんな環境だったので母親は苦労した。とにかく自分の息子を育て上げるためだけに生きてきたと言っても過言ではない。本当に本当に苦労して2人の子供を育て上げた。

僕が大学に行っていないのは、早く職に就いて母親を楽にさせたかったためである。

 

そんな母親も今は自宅で独り。まあ、猫が父親よりも好きだと言っていたから(そりゃ働かない父親はダメだろう)、猫2匹に囲まれているし、兄が比較的近所に住んでいるので毎日様子を見に行っている。兄も思いやりのある優しい人だ。あれで昔は族の(ry

 

なので機会があればできる限り実家に帰るようにしている。電話だけだと寂しいだろうから。僕は一人暮らしが長かったので、食事でもなんでも家事は人並み以上にできる。だが、実家に帰ったら母親に全てやってもらう。母親もそれが嬉しいらしい。

 

さて、そろそろ家を出なきゃ。ツレは今日は用事があるので明日、後から追いかけてくる。息子は仕事が忙しくてちょっと行けないらしいが、正月には行くだろう。

 

さぁ、久し振りに息子らしいことでもしてくるか。まあ、自分でも嬉しいのだけれどね。

 

ps.

そんな母親と父親だったが、父が他界した直後「また生まれ変わってもお父さんと結婚するわね、きっと。」と言っていたのを思い出す。まあ、息子には分からんものがまだまだ色々と2人の歴史があるんだろうな。