南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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久し振りに面白い小説(家)に出会った(小説:犯罪者:太田愛)

自分の中で分類してみると、アクション・ミステリー・・だろうか?久し振りに面白い作家さんの小説に出会った気がする。

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日中の広場で起きた通り魔殺人事件。4人が殺害されたこの事件で、ただ一人生き残った19歳の繁藤修司。単純と思われたこの事件は、大企業、政治家を巻き込む大スキャンダルのはじまりに過ぎなかった。修司と正義感溢れるあぶれ警官の相馬、ちょっと怪しい元テレビマンで頭の切れる鑓水との真相解明が始まる。

ここのところ週に2〜3冊のペースで読書を続けているが、いまひとつ琴線に触れるものがなく、ちょっと思い返してみてもかなり昔に書かれた、吉村昭さんの「漂流」、伊岡瞬さんの「瑠璃の雫」くらいが面白かった。後はひたすら以前に購入したものを読み返す日々だったのだけれど、Amazonの売れ筋だったかな?の紹介にあった本作を試しに購入して読んでみたのだった。

良い意味での予想の裏切り。いや、面白かった。この面白さは・・そうだな・・真保雄一さんの「奪取」を思わせる。展開のスピーディさ、逆転につぐ逆転、とても魅力的なキャラクター達。そこに散りばめられた謎、時間系列の配置の巧さなどだろうか。

一見無関係と思われる事柄が、ひとつの結末に収束していくのはどの小説でも常套だとは思う。この作品が面白かったのは、そこに集まるキャラクターの魅力が抜きんでていることと、そのスピード感だと思う。例えば、修司はちょっとひねくれているが正直で頭が切れるところが「奪取」の道郎を思わせる。実直で正義感溢れるが、それが故に組織からはみ出してしまっている刑事の相馬、一見ヘラヘラと軽い男に見えるが常に誰よりも秀でた深慮を見せる鑓水の三人がとにかく魅力的。このキャラクターの魅力は・・またも他の作家さんになるが・・京極夏彦さんのシリーズに出てくるような味わいがある。

個人的になぜこんなに好きなんだろう?と考えると、それぞれが持つ「正義」が好きなのだと思う。今の世の中、自己の利益のためなら他者などどうでもいいと考える者が少なくない。そんな中で、それぞれやり方は異なっていても「人として正しい」と信じることに突き進む姿に惹かれるのだろう。

もちろん、そのために多少の予定調和もあり、少し冗長かな?とも思えるエピローグなどにもったいなさみたいなものも感じる。重箱の隅を突けば、亜蓮という女の子の使い方がちょっと物足りなかったなとか。こういう小説はすべての伏線が回収され、大団円でスパッと解決で終了!であることに爽快感もあるとは思うが、それはやはり小説家、太田愛さんのやり方であるのだろう。その分、人の描き方に膨らみや温かみを感じたのも事実だ。いや、久し振りに楽しませてもらえて感謝。

この主人公となる三人の物語は、この後の作品にも継続されており、現在、「天上の葦」を読み始めたところだ。他の作品もあるようだし、しばらくは楽しい読書時間を過ごすことができそうだ。

 

さて、この物語とは関係ない部分でもあるのだけれど、ひとつ心に深く残ったワードがある。「人生を棒に振る」という言葉だ。実にありふれていて、いたるところで耳にし、目にする言葉なんだけれど、この言葉を見た時に軽いショックを受けた。おそらくそれは物語に没入している瞬間に目に飛び込んだせいで、自分の人生の痛みを突かれたように感じたからだろう。「僕は人生を棒に振っているのだろうか?」と。

確かに今の状態は「人生を楽しんでいる」とは言い難い。だが、そこを深く考えてみた。では「人生の楽しみ」とはなんだろうか?もちろん面白おかしく過ごすだけのことではないと思う。自分が日頃考えている心の底を覗けば、そこには「甲斐」という言葉に突き当たる。己は甲斐のある人生を送っているのか?そう考えれば、様々な苦しみや痛みも、ある目的のために進むことに必要だと言える。であるのならそこに「甲斐」は存在し、「人生を棒に振っている」ことにはならないのではないか?とも思える・・というか、そう思わなければ自分の過去の54年間をも否定することにもなるのかな・・と考えた。

人生は瞬間瞬間の選択の積み上げである。そしてそれらを是とするか非とするかは己の頭の中でしかない。乱暴な言い方をすれば、喜びや悲しみですら「全ては己の脳がやっている」ことなのだから。

毎度の脱線だけれども、そこはご勘弁を。それでは読書に戻ろう。明日は大型の台風で大荒れのようで、さきほど会社の安否確認システムから「無理に出社はしないこと」という旨の連絡が届いた。無機質な機械音声だったけれど、それだけでも自分の環境は恵まれているのだろうな・・そんな午後である。