南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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他人(ひと)には他人(ひと)の事情がある(電車でのベビーカー反対のニュースにて)

こんなニュースが聞こえてきたので。

news.livedoor.com

なんというかなぁ・・2割ってのがどういう数字なのかいまひとつ読み取れないでいる。「迷惑だとは思っているが、悪いことではない」という人が2割りだと思いたいところだ。それでも多過ぎるとは思うのだが、ニュースでは「反対」と書いてある。公共交通機関の利用において「反対」という言葉のニュアンスがそもそもおかしいというか、ちょっと考えられないことだとも思うのだけれど、そういう数字が出ているのは事実なのだ。

 

以前にも何度か書いているが「他人(ひと)には他人(ひと)の事情がある」のである。


例えば、「通勤電車に乗ってくるな!」とか?その人にはその時間に乗る必要がある「なにか」があると考えないのだろうか。いや、考えていればそんな言葉が出てくるのは人としての違和感があるし、そういう人たちは「なにか」なんて考えてはいないだろう。想像力の欠如だ。

 

「わざわざ混雑した車両に乗ってくるな!」ってのもあるね。例えば、ベビーカーでホームに降りるためにはエレベーターが必要だ。つまり、ベビーカーの人たちはそのエレベーターの近くの車両に乗る。基本的にエレベーターは障がいを持っている人や妊婦、ご年配の方々など優先席に乗るような人たちが使いやすいような位置に配置されているのではないかと思う。少なくとも僕が毎日利用している駅はそうだ。もちろん駅の構造上の問題もあるが、大抵はホームの真ん中かそれに近い位置だと思うし、そもそも利用することへの労力?というか、大変さが少ないところなのは当然であろう。であれば混雑しているのは当然じゃないか。


じゃあ、そのエレベーターから空いている車両の方に移動しろ?と言われることを想像してみる。しかし、ホームでは自分のことしか考えていないような、身勝手な歩きスマホが闊歩するような世の中で、更に狭いホームにそんな人が溢れているわけだ。歩きスマホの本人が落ちて怪我をするのならまだしも(それが良いとは思っていない。事故は避けるべきだ)、そんな中をベビーカーを押してなんて歩けないんじゃないだろうか。

結果、エレベーター近くの車両に乗ることになる。そこがそもそも混んでいると想像する。

 

「たため!」って言うのもあるな。ベビーカーってそんなに簡単にたためるものだろうか?それは構造の話しじゃなくて、状況の話しだ。赤ちゃんがいるのなら荷物がたくさんあるだろうし、ベビーカーで寝ている赤ちゃんをわざわざ起こすような真似だってしたくはないだろう。しかも、国土交通省からこんな報道発表資料もある。

www.mlit.go.jp

最初にも書いたが、なんかね・・こんなこと、言われないと分からないようなことなんだろうか?憶測でモノを言うのはよろしくないとは思うが、自分さえ良ければいい、他人なんかどうでもいいという人が増えているのは事実なんだろうなと感じる。世知辛いね。