南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

静岡県について感じること

ただいま早目の夏休みをとって実家に帰省中。

f:id:rei1963:20160805085957j:image

実家は静岡県の磐田市にある。昔は無名であった街だが、今では自己紹介時に「ジュビロのある・・」と言えば分かってくれる人が多くなった。
そうそう、関係ないのだが磐田市の「いわた」はよく「わ」にアクセントがあるように発音されるが、地元では「い」にアクセントである。まあ、知っていてもあまり役に立つことはないが。

先日、どこかのニュースだったかブログだったかで、静岡県は3(ないしは4)に文化圏や方言が分かれているということが書いてあった。その通りであって、西部、中部、東部(加えて伊豆)と分かれている。東部は東京寄りの文化、西部は名古屋寄り、中部はその間だが若干東京寄りだ。都市部に買い物に行くとしても、同様で磐田市だと浜松で済むものなら良いが、ファッションなどのように流行り物(オッサンなのでご勘弁を)を買うのなら名古屋に行くことが多い。

 

で、その記事でちょっと気になったのが「方言」である。
まず、静岡の方言はもっと細分化されている。僕の感覚だと浜名湖より西と北部、浜名湖から西で大東町の辺りまで、それから御前崎から榛原まで、島田から由比の辺り、さらにそこから沼津、そして伊豆、もう一つ川根の辺りと最低でも7つあって微妙に言葉やアクセントが違う。母親は御前崎の出身だが、ここ磐田市の言葉とはやはり微妙に違う。横に長い静岡らしいなと思うが、面白いのは島田から北上した川根辺りだとまた極端に変わるのが面白い。的確な表現が思いつかないのだが、川根辺りはどこか東北弁に似ている響きがある。なぜなのかは分からないのだが。
ひとつの県でこれほど言葉が違うとなると、他の県ではちょっと思いつかない。もちろん全ての地方に精通しているわけではないのでハッキリとは断言できないのだが。

そしてもう一つ。この辺りだと「〜ずら」という語尾が割と有名なのだが、僕は祖父母の時代からその語尾を使う人に出会ったことがない。なんだかテレビドラマで使われたことでそういうイメージを持たれているようだが、実際にはかなり前に廃れているのではないかと思う。または、僕の行ったことのない地域のことだろうが、少なくとも磐田市や浜松市で耳にすることはない。
ただ、今でも残っているものはある。「〜だら」がそのひとつだろうか。「〜だら」は「〜でしょう(?のような疑問符も含め)」のように使って、例えば「今日は仕事、休みでしょ?」だったら「今日は仕事、休みだら?」はよく使う。これが中部に行くと「だ」が抜けて「〜ら」になったりする。あとは強調表現の「ど」やそれを更に強める「どば」は今でも年配の人から耳にする。「どば大きい」とかかな。
他にも疑問文の「〜か?」を「〜け?」なんかはまだ残っているが、いずれにしろ東京や名古屋などに遊びに行く世代は使わない。それが「訛り」だと捉えられることを知っているからだろう。
同様に浜名湖より西は三河弁に近い言葉が使われるし、東部だともっと変わっていて「お前ら」みたいな言葉を「おみゃーら」みたいに「ま」や「き」や「ひ」など、小さい「ゃ」が付くことが多い。やっぱり県が横に長いこと、途中を湖や川、高い山で分断されているせいではないかと思っている。同じ県内なのに、言葉がちゃんと通じないことがある。まあ、それも最近は違うのかも知れないが。なにせ、上京して26年にもなるのだから。

面白いなと思うのは、静岡の人の言葉は他県の人の言葉に染まりやすい。例えば関西圏の生まれの人は東京に行っても関西弁であることが多い。九州なんかも似たような印象がある。だが、静岡の人はすぐにその地方の言葉に変わってしまう。それが言葉に対するこだわりの無さなのか、それとも言葉自体のクセが弱いせいなのかは定かではないが、とにかくすぐに影響を受ける。ある意味「弱い」方言(染まりやすいという意味で)なのかな?と自分では感じている。

 

静岡、特に中部は気候も温暖でノンビリしている人が多いというのも事実だ。実家に帰っても単なる田舎の空気というだけではなく、人々の時間の進みがとても穏やかに感じる。それは静岡に限ったことではないのだろうけれど、静岡は特にそう感じる。そのためか、人と競うことが苦手でハングリー精神が足りないとも言われる。よく言われるのは「静岡出身の力士は出世しない」という言葉だ。そしてそれは事実だと僕自身が感じる。
反面、器用な人が多い。産業都市であるせいだろうか。YAMAHA、HONDA、SUZUKIの大手バイクメーカー、または楽器メーカーなどがあることもそうだが、浜松が一大工業都市として発展したのはその器用さによる部分もあるのではないだろうか。そう書くと大袈裟だとも思うけれど。織布業が盛んであることもそう思う要因である。

 

それから温厚な人が多いのもそうだ。誰かと話しをしていても、言葉のエッジを感じない。歩いていてぶつかることもないし、ぶつかってもすぐさま「あ、どうもすみません。」「ごめんない」と言葉が交わされる。初めて上京した時に、東京では普通に人がぶつかり合い、それで謝罪の言葉もなくて驚いたことを覚えている。それはもちろん今でも変わっていない。静岡は暮らしていく上で、穏やかに過ごせる良い街だと感じる。

f:id:rei1963:20160805090034p:image

さて、今日は家人がこちらに来て、これから海水浴に行く予定である。夏休みで穏やかな田舎を満喫することにしよう。

 

追記

ということで、海〜。

f:id:rei1963:20160805140719j:image