南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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忘れていた神様の何か?を思い出す本(小説:神様の御用人)

別に信心深いわけじゃない。まあ、それは僕だけじゃないだろう。日本人の多くはそうじゃないかと思う。

たまには違う趣向の小説を読みたいな・・と考えて、Kindleで「神様の御用人」という本を見付けた。作者は浅葉なつ氏という、大変申し訳ないが存じ上げなかった方だ。どどちらかというとライトノベルに位置付けられるのだろうか。

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この本のストーリーは「神様たちの御用を聞いて回ることを仰せつかった青年の物語」である。神様の御用?最初はなんだろう?と思った。主人公は特殊な能力や不思議なチカラを持つわけではない、普通のフリーターの青年だ。青春時代に野球で活躍し、その結果膝を痛めて野球を止め、定職にも就かずに毎日を悩みつつもお気楽に生きている青年。そんな彼に「神様の御用人」というお役目が回ってきた。

「神様の御用」は、言葉の通り、神様が困った時にその御用を伺い、とり除くことである。

 

歴史や文学に造詣が深ければ、物語に登場する神々について知っていることだろう。だが僕は、とりあえず1巻を読んでみたが、一人・・いや、神々は一柱という単位らしい・・の神様の名前すら知らない。

別に「信心深くあれ」なんてことは言わない。ただ、古来から日本に伝わることごとを、当の日本人が知らないということはどうなんだろうか?と考えさせられた。

 

一番衝撃的だったのは、「神社は祈願する場所ではない」ということだ。本来は「感謝をする場所である」であると。日々、健康であることを、仕事が順調であることを、家族が幸せであることを感謝するのだ。そう言われてみれば、遠い昔、正月の参拝で近所の小さな社でそんなことを言われたような気もする。僕はまったく覚えていなかったのだが、家人に言ったら「当たり前じゃん」と言われてしまった。そうそう、家人は神社、仏閣回りが好きだったのだった。

 

面白いなと思ったのは「神社 祈願」で検索してみると、出るわ出るわ、イカニモ「ウチは霊験あらたかです」みたいな謳い文句が。あぁ、そもそもそういうことを生業としている人でさえそうなんだな。そりゃ、僕みたいな一般人も知らないわけだ・・なんて思ったり。これは「商売」なんだなと残念な思いもついでに。

 

でも、この小説を読んで少し調べてみたら、やっぱり自分が間違っていたことは分かった。まあ、今は感謝するほど幸せかと言えば、うーん、とも思ってしまうのも確かなのだが、それは逆に言えば「感謝が足りない」のであろうし、自身の幸せをどういうものか?と位置付けているかにも寄るのだろう。感謝によって気持ちの持ち方も変わるものだと思う。それは自分自身の立ち位置が変わるからだ。世を儚んでグレてみるのが良いわけじゃない。余計に自分を情けなくするだけだ。

 

とりあえず1巻を読んでみて、軽妙な語り口は最近のワカモノのそれだなと思うし、言葉のテンポの良さは読んでいて大きな集中力を要さない。それでいて、知らない神々に出会う面白さはちょっと病みつきになりそうだ。しかも、どこか悲哀というか「世の中にスネてしまった青年」が、「他人に対して優しい人間である」というのが読んでいて心を和ませる。

どうやら5巻まで発刊されているらしい。続きが楽しみだが、きっとこういうのはアッという間に読み切っちゃうのだろうな。そうしたら、小説に出てくる神々をキチンと調べ、行けるものならその場所に行ってみようか・・そんな気分にさせてくれる物語である。