南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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子供のような言い訳をする大人たち

様々なニュースや記事を読んでいると、あり得ないような言葉が氾濫している。真偽のほどはご本人しか分からない部分もあるが、知事や議員という要職にある方々の発言でさえ感じることがある。

 

 誰が見ても嘘だと分かるような、幼稚な言い訳

 

である。それも良い大人が。立場のある人間が。影響力の強い人たちが。恥を知れと思う。

法をおかしていなければ良いのか?その場を取り繕うだけの言葉の数々。中には堂々と法をおかしている場合もある。バレなければ良いと思っている。「今日日、子供でもそんな嘘は付かない」ような嘘なり言い訳を平気で公開された場所で言葉にする。そんな大人たちを見て、子供たちはどう見るのだろうか?

あまりにそんなことが「当たり前のよう」になってしまい、考えることすらマヒしているのだろう。そんな言葉が氾濫している。テレビで平然と流されて悪びれることさえしない。今はそういう世の中だから?そういうにはあまりに幼稚だ。それが国の運営に対して大きな影響力を持つ人たちの言葉であったりもするから始末が悪い。誰も不思議に思わないのか?

 

「大人は子供の手本であれ」とよく書く。でも、そんなことをわざわざ書かないとならない世の中なのだろう。「本音と建て前」なんてのは昔から存在するが、今の「それ」はそんな言葉で言い表すことができないようなレベルに落ちている。

正直であるのが必ず良いとは思わない。だが、嘘を言っても平気で許されるような世界であってもいけないと思う。それを要職にある人が平気で口にする。普通の人が「さも、正義の行動であるように」言葉として放つ。

いつからそんな国になったのか?いや、元々日本の国民性なのか?いや、海外でも似たようなことはいくらでもある。至誠に悖るなかれ。それが「人間である」ことだと思う。

 

世の中は経済と宗教と、本のすこしの悪意と善意で動いているといつも言っている。それが僕の知っている「人としてどうか?」を疑うような行動を平気で起こすのだろう。

「人間なんて滅んでしまえば良いのに」最近、そう思ったりさえする。嫌な世の中だ。

夜中にふと目ざめたので、ちょっと愚痴ってみた。