南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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映画「オデッセイ」とタフガイ?(ネタバレあり)

最近はあまり劇場で観たいと思えるような映画がなくて、STAR WARSを何度か観たくらい。んで、久し振りに「オデッセイ」に興味をそそられて観てきた。

 

 

ん〜・・何と言うか僕的には「悪く無い」って言葉が一番適切かも。逆に言えば「良い」とも言えないし「悪い」とも言えない。ストーリーの設定は面白いし、映像も音響も良い。マット・デイモンの演技も良い。映画全体のまとまりが良くて、火星に取り残されてからの様々なトライ、失敗、成功、そして帰還。食料の確保のアイディア、地球との通信のアイディア、ここも良く「整えられている」。特に破綻も無くて、何となく「キレイに円形にまとまっている映画」という印象だった。

逆に言えばインパクトを感じない。どうしてだろう?と思った。

 

まずは、マット・デイモン演ずるマークがとても陽気なこと。

地球から遠く離れた火星にたった一人置き去りにされ、助けが来るまでの食力の備蓄も無い。もちろんそれは彼が孤独や困難に打ち勝つためにとった行動だとは理解できるが、それでもこんなに陽気でいられるだろうか?流石に気楽には見えないし、様々な困難もある。困難を乗り切るための作業だって半端ないだろう。なのに「孤独」や「絶望」が見られない。それこそがマット・デイモンの演じる「タフガイ」的な役柄だったのだろうし、オールディーズのダンスミュージックをガンガンかけてみたりすることが、逆に「孤独」「絶望」を払拭させるための演出だったのだろう。

 

でも、個人的にはこれが逆にこの映画を平坦なものにしてしまっていると感じた。SF的な仕組みや見せ場もあり、地球の人々が彼の生存と帰還を全力で支援しているのもよく分かる。でも、映画全体のリズムというかテンポは、無人島に独り取り残されたロビンソン・クルーソーと大きく変わらない印象を受けてしまうのだ。ただ、「火星」という特殊な条件であることを除けば。

 

それから、多くの困難?というか「無理」が通ること。

困難が少ないわけじゃない。むしろ多い。それに対応するために、様々な立場や環境に対する「無理」が意外に簡単に解決されていくし、特にマット・デイモン以外の人達はセリフ以上の困難が伝わってこない。そのためにトラブルそのもののインパクトが薄れてしまう。生存と帰還のための卓越したアイディアが、日常生活からの大きな逸脱を感じ無い。これはSF的に考えると物足りない部分として感じるだろう。なにせ、スクリーンを通して自分が体験できないような世界を疑似体験したいと思っているからだ。ある意味、期待が大きすぎるとも言えるかも知れないのだけれど、全てが予定調和で進んでいる気がしてしまう。

 

最後に上にも少し書いたけれど、SF的な要素が少なく感じてしまうこと。

なにも、宇宙戦闘機をバンバン飛ばしてドカドカ闘えなんて思ってはいないんだが、描写こそ宇宙であって、それはある程度正確に描かれているのだと思う。映像だってとても美しい。なのに、宇宙服を着ていること以外は宇宙であることを意識できない。それは火星を舞台にしていることもあるのだけれど、周囲は荒涼とし、一面土色の砂漠と岩山。これは地球にもある風景だし、他の映画でもよく見る風景だ。ベースキャンプでの生活にも見慣れない家具が並んでいると思えば違和感がない。そう考えるとやっぱり「ロビンソン・クルーソー」なのだ。

 

正直に言って、駄作だとは思っていないし、良作だとは思っている。「ゼロ・グラビティ」を観て無かったら、感動ももっと大きいだろう。ただ、たまたま比較に「ゼロ・グラビティ」を出したが、ほとんどの部分でそれを上回ってはいないと感じたのだ。

 

もう一つ。

予告編を観た後に映画を観て貰えば分かるんだけど、ほぼ、予告編以上のことは映画の中で語られていないと感じる。もちろん、食料を得るための細かい手順などは予告編には存在しないのだが、物語が平坦だと感じてしまったのは、案外、この予告編で全て語ってしまっているからかも知れない。

 

今年最初の劇場映画。ちょっと残念だったかなぁ・・いや、何度も言うけれど、できが悪いわけじゃないと思うんだけどね。それと、原題が「The Martian(火星の人)」って言うのが良かったね。そのまま日本語で使ってしまうと「火星人?」みたいになっちゃうから「オデッセイ」なのかも知れないけどさ。