南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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責任なんてとりたくない!(責任の欠如とリテラシーの乖離)

こんな記事を読んだ。まあ、仕事関係の記事だったので、いつものようにRSSでクロールの際に拾ったものだ。
 
個人的には概ね同意できる。
僕の知っている多くの大企業では自社のセキュリティに大きなコストをかける。これは性悪説に基づいた情報管理/セキュリティ対策について、外部のみならず内部でのインシデントに過敏になり過ぎていると思える。
 
セキュリティ対策は、基本的に管理する情報区分を明確にし、その区分に見合ったプライオリティを付けた物理的対策をする。そして、管理された情報にはそれに付随するエビデンスを残す。それを漏れなく回すためのチェック体制も考えればそれほど簡易でも無いのは分かるんだが。
 
確かにセキュリティインシデントの発生は防御壁の一部に穴があれば意味がない。そういう点では全方位のセキュリティ対策は必要不可欠なのだが、多くの場合、コストをかける最大の理由はそこには無い。コスト増大の要因は、当該セクションでの責任意識に問題があるのだと考えている。要は、記事にもあるが「自分は悪くない!」と言いたいがための言い訳だと言える。日本人的だと言われればそうかもと思う。
 
それは社員を含む管理者の評価を維持するための回避策であり、多くが単年度での評価を優先し、それにより昇進も給与も格差を付ける現代の企業の重篤な病巣だ。それが人間関係の悪化、風通しの悪い社風に繋がっている。結果的に多大なコストを掛けざるを得なくなる。何をするにも性悪説に基づき、不必要な対策にコストをかけ、詳細なエビデンスを保持しようとする。よく考えてみれば作業的にも無駄なものも少なくなく、それにより稼働がかかり余計なコストがかかる。
 
問題が根深いのはそういうことを実は理解しているということだ。理解していても一旦回り始めた歯車を止める勇気と責任を負うことをしない体質にあり、それはそう簡単に変わるものではない。若手はそういう仕事の流れを当然と考え、自らの成長を阻害していることに気付きにくくなる。何しろ権力を持った悪い手本があるのである。こうなると悪い循環である。日本が海外メーカーに様々な点で敵わないのはこの辺にも要因があるのではないかと思う。
 
更に。それは人間関係の悪影響に繋がり、会社内の閉塞感まで醸成する。感覚的に仕事における様々なストレスは人間関係に端を発しているのはご存じのことだろう。これはセキュリティに限った話ではない。職位に応じて小単位に階層化されたヒエラルキー毎の責任回避意識は、新規開発のような新しい取り組みにも当然反映される。良いものを作りたくても時間がかかり、様々な判断階層を経て、結局は使い物にならないような箸にも棒にもかからないようなものができあがる。それが今の日本の企業の現状ではないだろうか?本来、リテラシーの中抜けは技術で補えるものだと思う。それができていないのだ。日本には日本らしい解決方法があるはずだが、まずは責任意識の醸成と人事評価を正すのが直近の課題ではないかと考える。
 
人間は機械ではない。感情があるのだ。組織に自我を傷付けられ平気でいられるような人は少ないだろう。これが社会における「人に優しくない社会」にも蔓延しているのではないだろうか。それがエンジニアとド素人の間に更に大きな乖離をもたらす。
 
まったくもって世知辛い世の中である・・と書くと風呂敷を広げ過ぎかな?
でも残りの人生、もっと快適に送りたいものだと願う。