南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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至誠に悖る勿かりしか

シルバーウィーク。なんとなく違和感を覚える言葉だけれど、まとまった連休には違いない。とりたててすることはないが、まずは家事をと今日は一日集中することにした。貧乏性な故か、徹底的にやらないと気が済まないのだが、終わるとぐったりと疲れ、翌日には使い物にならなくなる。まあ、今回は休みも長いし、他の日に体調が良ければ家人にクルマを借りてもらい、カメラを持って公園にでも出掛けてみようか・・などと考えたりする。長閑でもある。
 
色々と騒がれてる時期になんだけど、「五省」というものがある。これは、旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校(現在は海上自衛隊幹部候補生学校)において用いられた五つの訓戒のことで、現在でも海上自衛隊第1術科学校に掲げられている。捉え方によっては根性論的に見えてしまうものもあるけれど、日頃の自分の行動を振り返るには良い訓戒であると思う。もちろん、個々人がそれぞれ言い訳を考えてしまっては何の意味もないのだが。
実は先日、久し振りに福井晴敏さんの「亡国のイージス」と「終戦のローレライ」を再読した。その時に「終戦のローレライ」に五省が触れられており、思い出した次第である。
 
五省
一、至誠(しせい)に悖(も)とる勿(な)かりしか
  真心に反する点はなかったか
一、言行(げんこう)に恥(は)づる勿(な)かりしか
  言行不一致な点はなかったか
一、気力(きりょく)に缺(か)くる勿(な)かりしか
  精神力は十分であったか
一、努力(どりょく)に憾(う)らみ勿(な)かりしか
  十分に努力したか
一、不精(ぶしょう)に亘(わ)たる勿(な)かりしか
  最後まで十分に取り組んだか

 

もっと細かく意味を説明したページも検索すれば出てくる。僕はこの中でとりわけ下記の言葉が好きである。

至誠に悖もとる勿なかりしか

いくつかの解説を読んだ上で、自分の中では「道徳心を守り、誠実をもって周囲の人たちに接しているか?」と解釈している。ここでいう「周囲」は単に知人や友人、家族だけではない。仕事で出会う人々、様々な理由で関わり合う人々、果ては道行く人々に対してである。
もちろん、こういうことを言っている自分が完璧に守れているわけではない。感情を持てば他人の行為にイラつくこともある。咄嗟なことで、後に反省すべき言動もする。ただ、一日の行動を振り返り、時には継続し、時には戒めとして思考を巡らすことは自身にとって有意義であるだけではなく、他者との関わりにおいて不必要なストレスを抱え込むことを防ぐ手立てにもなると考えている。
 
しかし、他者も同様に行動しているかと言うと、そうでもない。むしろ不誠実な人が横行し、正直者は馬鹿を見る場面も少なくはない。それでもなお、そういった誠実な行為は自分に戻ってくるものだと思う。以前にも何度か書いた「情けは人のためならず」と同じである。周囲が不誠実だからと自分も不誠実であれば、その反動はやっぱり自分に返ってくるものだし、そういった言動を続けていけば人格に反映し、その人の「顔」を変えて行くのは分かっている。誠実さが無い人にはある種の清潔感みたいなものが欠如している。
年齢を重ねていけば分かることだが、「人相」である程度その人となりが分かるようになる。人間とはそういう仕組みになっているようだと実感できるだろう。美しく清楚な外見でありたければ、まず内面を磨く。至極当然のことであると、この年齢になって理解できる。
 
この言葉の中には正しい知識と知恵を身につけることも含まれると考える。昨今の様々な騒動が、無知蒙昧により、刺激的で扇動的な行動による軽挙だと考えはしないのだろうか。刺激的な言葉により思考を停止し、群衆の流れに乗ることが本当に正しいことかと自らに問えないのだろうか?経済学者になれとは言わないし、ましてや政治家になれとも言わないが、多くの知識を得るために一日の少しの時間を割くことを面倒と考えず、己の成長と自身を守ることだと考える頭が無いからこその思考停止なのだろうが。
まあ、テレビで中継されている国会の様子を見たら、そんな言葉も吹き飛ぶかも知れないが。彼等が、自分達が選挙で選んだ国を代表する人達なのだから。
 
世知辛いな・・とため息に似た言葉がよく出るようになった。でもそれを他人の所為にせず、自身を振り返ること。それがやはり大切なんだろうな・・と考える休日の昼である。
 
さて、洗濯も終わったし、次ぎは掃除に移るか。あ、その前に昼ご飯食べないとね。忙しい、忙しい。