南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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LGBTに対する企業の取り組み等についてちょっと思う

最新の電通の調査によれば、LGBT(または性的指向を特定できないケースを含む)は日本の人口に対して7.6%いると言う調査結果を報告している。約1千万人に相当するわけだ。

 
渋谷区のパートナーシップ制度可決によって日の目を見た感があるけれど、様々な記事を読んでいるとどうにもこれに関連した動きに違和感がある。確かに1千万人の潜在顧客数は無視できない数字であろうし、米国の人権団体、ヒューマン・ライツ・キャンペーンが出している「コーポレイト・イクオリティ・インデックス」で評価表を突きつけられ、「おたくは人権を軽視している会社ですね」と評されれば顧客や関係企業への影響は免れないのが米国の現状なのだろう。この評価は2016年から全世界に適用されるとのことで、グローバルを相手にしている企業にとっては日本においても他人事ではないのだろう。
 
だけれど、この違和感はどうも「金儲けのために仕方が無く」みたいな感覚なのだと感じてしまう。あくまで個人的にだが。
 
人権に真摯に向かい合い、企業努力を怠らないのであれば、社内イジメとか障害者雇用とか、大きく言えば人種差別とか他にも配慮する点はたくさんある。それが何故かLGBTに急激に脚光が当たる。もちろん、それ自体は正しいことと思うし、問題だと分かれば早急に対応をしていくことは素晴らしいことではあるが、陰に隠れているが故に分かっていても取り組みを軽視しているその他のことがらがまだまだたくさんある。問題として認識しながら表面化しないからそれは「無いことにする」。現に日本ではこれまでは「LGBTは存在していない」ような扱いであったと感じる。それなのに声高に「ウチの会社はLGBTに配慮しています!」なんて突然言い出したら胡散臭いことこの上ない。静かに速やかにやれば良いだろう。
 
この手の人権問題についてはウチの会社でも毎年必ず研修がある。今年はLGBTについても触れられるのだろうか?たぶん次回の研修項目に盛り込まれるのだろう。けれど、毎回思うが本来なら知らなくて良かったことまで研修に盛り込まれ、差別の根を深くすることもある。そういう意味で慎重に取り組んで欲しいものだと思う。
 
LGBTの人たちはひっそりとしている方がほとんどだろう。だから身近にそういう人をあまり見付けられないわけで、それにはちゃんとした理由がある。古い考えに縛られ、からかいや憎悪の対象になったり、それにより社では評価が下げられ、国によっては命の危険まであるのだ。下手にカミングアウトして親に泣かれたり、会社でイジメに遭う可能性があるのなら、ひっそりとしているに越したことは無いだろう。これが長年積み上げられた日本の歴史の結果であるのなら、それが本当の意味で解消されるには同じように長い時間がかかるのだと思う。様々な世代交代と同じように。
 
公正な世界の確立は絶対に必要。だがそれが経済で動かされているのだとしたら、それはあくまで表層で薄塗りをした塗装でしかない。LGBTに限らず、人間がお互いの立場を尊重し、優しさと慈愛を持って他者に接することができる・・そんな世の中が心の底から待ち遠しい。
しかし、一歩外に出た途端に世知辛い世の中に木っ端微塵にされる。自分さえ良ければ良い、というよりは、他者など自身の世界にはいないが如く振る舞う人で溢れているのだから。道は遠いのだと思う。
 
僕の生きている間は無理でも、将来に、子供達が正しい大人を手本にし、そうやって正の遺産を積み上げ、いずれそういう世界になって欲しいと切に願う。世界は経済と宗教だけで回っているのではないと証明して欲しいものだ。
 
あなたは子供に対して恥ずかしい大人になっていないか?常にそう心に留めておいて欲しい。
 
追記
個人的には「LGBT」と一括りにすることにも若干の違和感。性的指向性自認は違うものだから。