南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

昨今の洋画の吹替えに思うこと(ちょっと短く)

興味があって新しいBD映画を購入しようと色々な評価を見ると、「芸人や俳優の吹替えがひどい」ってのを割とたくさん目にする。僕自身は映画は役者の声も含めて「演技」であるのだから、字幕に映画への集中力を若干阻害されたとしても吹替えを選択しない。たった一度だけ、ある映画を観たくて劇場に行ったのだが吹替え版しかIMAX 3Dの選択がなく、シブシブ吹替えで観たことがある。その時に「あぁ、そういうことか」と納得したのと同時に、やはり声も演技の一部だなと強く実感した。正直、セリフが出た時点で「シラけた」のである。ドッチラケ。

 
映画の観客動員向上のため、芸人を選択するのはきっと効果があるのだろう。ただでさえ映画離れを騒がれているわけで、だとしたら一概に責められるものでは無いのかも知れないが、せめて別の選択肢もあって欲しいなと思う。企業のコスト増に繋がるのだろうが、イチ映画ファンとして。まあ、そもそももっと別の施策として、設備の拡充とか品質の向上とか劇場の料金の引き下げとか他にも対応策はあるんだと思うんだけどね。
 
しかしそうやって考えると、そもそも映画を観せるというサービスはどういうものかと初心に返って考えるのが良いのかなと思う。自分が刑事になって犯人を追ったり、いきなりある遠くの星の王女になってみたりな非日常への憧れ、ジェットコースターと同様なハラハラドキドキ、感動で心を満たすことなどなど。そう考えると、そういうことが蔑ろになっていると思える現状に少し寂しい気もするが。
 
まあ、儲からなきゃ映画も作れないんだろうけどね。他の方法を模索して欲しいもんだな。