南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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ポセイドン・アドベンチャー(1972年版)

ここのところ新作がどうも不作というか、あくまで個人的にだけれども「映像」は見られても「演技」が観られなくて残念な毎日である。まあ、そんな時には家の安物ではあるが7.1chのAV環境で昔の映画を観るのである。ちなみに、今年に入って家で観た映画の数は、ここまでで156本。2回観たものもあるので多少ダブってはいるが。

 
今日はポセイドン・アドベンチャー(1972年版)」を紹介しよう。
 
最近は、旧作のBlu-ray化が徐々に進んできて、昔の映画でも美しい画像で観られるものが多くなってきた。中には古い画質のままなものもあるが、多くのものはBlu-rayらしい高画質で観られることができる。音響については流石に昨今の新作には敵わないものの、昔に比べたら遙かにディテールまで観られるわけで、技術の進歩と低価格化にはとても感謝している。だって、最近のBlu-rayって旧作なら日本版のCDよりもずっと安いんだぜ?逆にCDが高いのか?とも思わないでもないが。
 
調べてみると、「ポセイドン・アドベンチャー」は1972年のジーン・ハックマンが主演のものからここまで4回製作されているらしい。僕の知っているもの・・というか、家にあるものはこの第1作と4作目の2006年に製作された「ポセイドン」だけだ。確か、1979年の「ポセイドン・アドベンチャー2」もテレビか何かで観ているハズだが覚えていない。
 
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こちらが1972年版。右がDVD、左がBD。
 
この両作、基本的なストーリーとキャストの配置は同じ。結末も含めて微妙に異なるけれど、比較してみるとなかなか興味深い。個人的にはストーリーテリングと俳優陣の演技を含め、トータルには最初の作品が好き。映像と音響はもう時代的に隔世の感があるだろう。圧倒的で比較する気もないけれど、映像は映画にリアリティをもたらすが、映画そのものの出来はそこに集約されるわけではないと考える。映像が素晴らしいが駄作だってのはたくさんあるが、その逆はないと思っているからだ。
 
映画としては基本的にパニック映画で、代表的な作品としては「タワーリング・インフェルノ」があるだろう。この作品との大きな違いは、主眼が助ける側なのか、助けられる側なのかということだろう。そのためか、「タワーリング・インフェルノ」では主演のポール・ニューマンに強い視点がある。対して「ポセイドン・アドベンチャー」は個々のキャラクターにそれぞれの個性が割り当てられ、強く感情移入しやすい。惨事が起こり、個々がそれらに対応するキャラクターに人生の歴史や背景が、そして感情が強くある。僕がこの作品が好きなのはその点である。そこが2006年版は希薄に感じてしまうのだ。素晴らしい映像と音響がもったいないとは思わないが、前作に迫って欲しかったと思う。
 
当然、彼らは多くの困難に立ち向かい、犠牲を出す。そのたびに「カルネデアスの板」のことを思い出したりもするが、そもそも誰かが助かるために誰かを犠牲にするようなものではない。分かっちゃいるが。最後の感動は映画を観るのにかけた時間とコスト以上のものだろう。配役も良かったと思う。まだ若き破天荒な神父のジーン・ハックマン、怒鳴ってばかりでそれが日常の姿にしか見えないアーネスト・ボーグナイン(知らない人もいるかも知れないが、色々な作品を観ればとても魅力的なバイプレイヤーなのが分かる)、そのほかの俳優陣もみな個性的だ。
 
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こちらが2006年版。
 
今回、この両作を続けて観て、改めて映画は本(脚本)と演技(俳優)なんだよなぁ・・と実感したのである。こう言った良作がCDよりも安い値段で買える。良い世の中になったものだ。できればストリーミングも同様の画質/音質に早く届いて欲しいものである。だって、家がもっと広く使えるもの。