南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

すべてのことは己の脳が行っていることである

よく聞く言葉かも知れないが、この言葉自体は自分が考えて、52年間の人生を経験して作り出したという言葉である。もちろん、世間には同じ言葉はたくさんあるが、そもそも出来上がった意味が違う。

 
この頃の自分はひどいうつ病で悩んで(というか、悩むことすらできなかったわけだが)いて、すべての苦悩や痛み、虚無感や倦怠感と戦っていた。というか、これも戦っていたというよりは、自分の人生をかけてまでここまで育ててくれた母親よりも先に逝けないという思いだけで、毎日を秒針を数えるごとく過ごしていたわけである。1秒進んだからといって楽になるわけでもないのに、とにかく早く時間が経って、徐々にすべてが楽な方向に向かうことを考えていただけである。
 
そもそも下地というか元ネタは色々とあったのだと思う。映画「マトリックス」でもそうだし、自分が認識している「色彩」すら太陽光が物体に反射して、それを脳が知覚した上で認識しているわけである。そういうものだとはわかっていた。夢だってそうだ。夢を夢と認識できていることもあるが、大抵はそれは現実世界として捉えていると思う。つまり、脳がその状態を作り上げているのである。
 
病気が10年近くなった辺りから、少しずつ脳が色々と考えることをするようになり、現状を少しでも変え、この辛さからとにかく逃げようともがいていた。自分で完結できる対策はないものかと。その時にフと思った。
 
「辛さも痛さも悲しさも、自分の脳が作り出したものを感じているんじゃないか?」
 
と。そう考えたら気分が楽になった・・なんて簡単にはいかない。分かっていても辛いものは辛い。トイレに行くためにベッドから文字通り這って到達する毎日をそんなに簡単に変革できるわけではない。
 
しかし、幸いなことに会社は僕の病状を容認してくれていたおかげで考える時間は豊富にあった。色々なことに解釈を与え、起きているすべての事柄を因数分解しつつ、結果として受け止めているのはやっぱり脳なのだと思えるようになったのは更に発症してから15年が過ぎていた。こう書くと簡単そうに見えるが15年だぜ?小学生に入学してから、中学高校を卒業し、気が付けば成人を超えているだけの長期間なのだ。同様の体験を簡易に感じることは不可能だろう。
 
痛みは消えない。辛さも消えない。ただ、外因的要素があったとしてもそれを認知しているのは脳なのだと。自分がある程度コントロールできる範囲のことだし、誰かに責任をなすりつけるようなものでもない。そう思うと受け入れる覚悟みたいなものができた。それが今の自分であるわけだ。
 
そう考えるとそれは他のことにも応用が利き、この15年がまったくの無駄でなかったことを知った。すべてにおいてでは無いが、行動や事象に理由を付けることができるようになったし、自分を理解し、それと同時に他者に対してもそれぞれの事情であることを理解できるようになった。
 
とまあ、雑談的に自分語りをしてみたが、「禍福は糾える縄の如し」とも言う。悪いことがあれば良いこともある。それは脳の捉え方でコントロールできる。病気の間でさえ無駄な人生ではなかったことに自分自身を祝福したい。まあ、残りの人生も見えてきてるのがアレだが。