南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

日本人の優しさはどこにいったのか?(多少大袈裟)

杖をつき始めて一年半くらいが経過した。今までは自分では分からなかったことが色々とあるのでツラツラと書いてみようと思う。

僕は電車通勤だし休日でも都内にランチに出掛けるので電車には毎日乗ると言って良い。で、この一年半に席を譲られたのはたったの6回。これ、多いとは思えないよね?手前味噌ではあるけれど、僕自身は前に杖をついている人がいたら必ず席を譲っていたし、妊婦やご年配の方は判断が難しくも(バカにされたと叱られたことも多々ある)やっぱり譲っていた。

でも、いざ自分が逆の立場になってみると意外に譲られないもので。日本人ってこんな感じかなぁ・・なんて思いも無きにしもあらず。ただ、僕自身は普通に立っている分には全然痛みも無いのでお礼を言った上で丁寧にお断りしていはいるんだけどさ。それでもこう・・気持ちの悪さ?寂しさ?悲しさ?みたいなものは残る。

残念なのは席を譲ってくれるのが大抵年配の男性サラリーマンであること。その方だって疲れているだろうし・・。座る気はなくてもこういうのを味わうと申し訳ない気持ちになる。

それに、杖をついた状態で混雑した電車に乗ると明らかに周囲が不穏な空気になるのが分かる。僕は荷物を網棚に載せたいから、空いていれば座席前に立つようにはしているんだけど、そうすると空気がハッキリと変わる。露骨に嫌な顔をする人もいるし、そうなると残念感がハンパなくて。居眠りをするなんてのはまだカワイイもんでね。睨みつけられたことだって何度もある。かといって杖をつかないで歩いているのも今の膝の状態を考えるとちょっと辛い。

残念な場面は他にもいくつかあって。例えば駅のエレベーター。健常な方々がたくさん乗るんだよね。大抵、一度では乗れない。もちろん、いつも言っている通り「人には人の事情がある」わけだし健常に見えてもそうで無い人はいくらでもいる。でも、エレベータを降りてスマホを弄りながらスタスタと歩いている若者を見ているとどうにも咀嚼できない思いがある。

エレベーターと言うと会社やデパートでもそうだね。誰も僕が降りるのを待っていてくれない。さっさと先に降りる。これももちろん待ってる義務は無いし、僕自身がボタンを押さえる性質(タチ)だからってのもあるんだけど、それでも「お先にどうぞ」といつもは言っていた立場からすると残念感がある。

変わったところではこんなのも。先に書くけれどもこれは僕に非がある。それでも少し悲しい気分になったので。
ある日、新橋にあるフォルクスというステーキハウスに行った。ここは週に一度は利用している場所で、サラダバーがまだまだ健在なのが気に入っている。あるとき僕は財布を自宅に忘れてしまった。それも食事が終わってから気が付いたのだ。店員に事情を話したところ店長らしき年配の女性が現れ「すぐに取りに行って下さい。」と高圧的に言われた。ここから自宅まで一時間ちょっと、往復すれば三時間近くかかる。それも杖をつきながら・・。もちろんそれには異存は無いのだけれど、ひょっとしたら「明日でも構いませんよ。」と言ってもらえるのかと思っていたのでちょっとショックだった。彼女の高圧的な態度もあって余計にそう感じたのかも知れない。それからこの店には行きづらくなり、今はもう行っていない。

こうやって一年半を過ごしてみると、日本は杖をついている人には寛容では無いのだなと思った。いや、ご年配の方々にだって席を譲ったりはしないのだから杖どころでは無いのだな。「人には人の事情がある」それは分かり過ぎるくらい分かっているが、僕が日常に出逢う周囲のほぼ全ての人達に「事情」があるわけではないだろうに。

「なんか色々と生きづらくなっているな・・。」と感じる今日この頃である。