南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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【ネタばれあり】もう「エイリアン映画」はいいよ(映画:エイリアン コヴェナント)

期待は・・そう、あまりしていなかった。そもそも、前作とされる「プロメテウス」が

「永遠の生命の探索」であったことでテイストが大幅に変わったこと、そして、それを最初の名作「エイリアン」に繋がるエイリアンの出生の秘密に繋がる物語として構成された、この「エイリアン コヴェナント」に繋げる作品であることに違和感があったこともある。結論から言うと、どうにもインパクトの欠ける映画になってしまったという印象であった。

2,000人の移民者と1,000体の胎芽を乗せた「コヴェナント号」。目的であるオリガエ6に向かう途中、トラブルにより艦長が事故死、他のクルーがコールドスリープから強制的に覚醒させられる。そして、そのポイントから僅か2〜3週間の距離に人類が居住できそうな星を発見する。コヴェナント号のクルーはその星に降り立つことにした。しかし、そこには11年前に地球を発った「プロメテウス号」のアンドロイドとクルーが行き着いていた・・。

前回の「プロメテウス」があまりに不評だったせいか、今回の「コヴェナント」では、最初の「エイリアン」に似たテイストが与えられていると思う。目的こそ入植者の移送であっても、船内のトーン、全体的に暗さを感じさせる映像、クルーが労働者然としているキャラクターなどがそれだ。そして、前回で分かりにくかった「エイリアンの起源」が今回はより明確に描かれている。そうそう、この映画を観るのには「プロメテウス」を観て予習しておくのが必須だ。でないとキャラクターとストーリーの流れが分からなくなるだろう。

しかし、ストーリー全体が遠回りな上に流れと結末が予想できると感じた。何と言うか、観るポイントが絞れず、インパクトが無い。「プロメテウス」でアンドロイド役であったマイケル・フォスベンダーが、新しいアンドロイドとの一人二役をこなしているが、それも後半で入れ替わることが容易に想像でき、途中から物語の後半と結末が読める。「フェイスハガー」を含めた最初の「エイリアン」に繋がる部品を散りばめたものの、その流れがストーリーの流れとしてどうにも違和感がある。黒いエイリアンに繋がるその進化の途中である白いエイリアンも出るのだが、単にホラー映画の怪物的な印象でしかなく、必要だったか?と思えてしまう。

一番感じたのは、全体を通してとにかく印象が薄い。つまり、観るポイントとそのインパクトが足りないと感じるのだ。しかも、それが「エイリアン正史」に巧く流れているとは思えない点じゃないだろうか。観ている間にも眠くて眠くて・・終盤に結末が見えてしまうと、ストーリーに対する興味も薄れてしまっていて、終わった時には「プロメテウス」と同様の残念感が漂うのであった。

全体的に希薄に感じてしまうストーリーの中で、俳優としてのマイケル・フォスベンダーが唯一光っていたと思う。逆に言えば、リプリーを連想される女優キャサリン・ウォーターストンを含め、他の俳優陣のインパクトがあまりに薄い。どうしても「エイリアン」、または「プロメテウス」と比較してしまうが、「エイリアン」ではブルーカラーの労働者ひとりひとりのキャラクターがとても魅力的だったし、シガニー・ウィーバーのインパクトは誰もが忘れないほどの強烈さだろう。「プロメテウス」も正直なところ「エイリアン」の系譜とは思えないのだが、それでもまだ個々のキャラクターは役割をユニークに持たされていた。それが今回の作品ではあまり感じないのだ。

脱線するが、個人的に「エイリアン VS プレデター」は割と好きなのだけれど、あの映画ではエイリアンを「究極の戦闘兵器として作られた生物」みたいに言われていなかっただろうか?別の映画だし、そこにキャラクターのマッチングを観るのも筋違いな気もするが、そこも気になった点である。

総じて酷評になってしまったが、多くのエイリアン・ファンは同様に感じたんじゃないかな?・・そんな印象を持って映画館を後にした。もうね、「エイリアン」はこれで完結で良いと思う。でないと、またこんな気分を味わってしまうかも知れないから。