南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

やれること、やりたいことは、やれるうちに

なにも説教くさいことを書こうってわけじゃない。この歳になって色々と感じることのうちの、単なる日常のひとつのことだ。

今日、iQOSの12桁のパックコードの入力をしていて、そう言えば昔なら12桁くらいのアルファベットなんて一瞬見ただけで記憶できたのになぁ・・と感じて。そう考え始めると色々なことが積み上げた年齢の重しみたいなものになる。悪い意味で。

加減乗除だって、若い頃なら加減なら8桁くらい、乗除でも5桁くらいは暗算ができた・・とか些細なことから、老眼や聴力の衰え、身体のいたるところの不調や細かいところでは筋力や肌の張りなんかだって全然違う。そう、こういうものは日々感じつつも、ある日、突然その「境界線」みたいなものを踏み越えたことに気付く。「過ぎたるは及ばざるがごとし」だ。この年齢になって15万円ほどのイヤホンを買ったりしたのも、こういうものが楽しめる旬はもう過ぎつつあることを実感として感じたからだ。年齢の自覚は、ある日突然やってくる。マジで。

そういうことを考えると、「若くて色々とやれるうちに、やれること、やりたいこと(もちろんルールやマナーは必要だが)はやっておくべきだった」なんて、僕みたいな人間でもそう思う。

仕事は「安定している」という理由で選んだ。ある程度以上の評価を得、給与も人並み以上でもちろん不満はないのだけれど、それが返って変化に挑む気持ちを失わせていたかも知れない。やたら器用だったこともある。何をしてもそこそこできてしまう。だから、それ以上は興味を失って踏み込まなくなってしまっていた、と思う。もちろん、その時にはそんなことには気付かないしそんなつもりもないのだけれど、今の年齢になり、思い返してみるとそういったターニングポイントというか、分水嶺みたいなものはすごくたくさんあったように思う。ロードレースをもっと真剣に続けていれば?とか、仕事の技術分野でのベンチャー起業してみたら?とか、もの書きになったら?とか、やりたかったことは色々とあった。

まあ・・なんとなく自分語りで、やっぱり説教くさくはなってしまったけれど、これを読んだ人はそういうことも時には考えてみると良いかな?と思う。なにせ、過ぎ去る「時」は一瞬だから。過ぎた後はもう手が届かないんだからさ。

 

追記

改めて読み返すと、そもそもやりたいことがあっても、周囲の環境等により可能性自体が与えられなかった人だってたくさんいるハズだと思いつく。ある意味、僕は甘えただけなんだろうな・・とも感じる。