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南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

日常生活で思うこと、電子ガジェット、オーディオ、映画、小説を紹介するサイトです。

僕がテレビを見なくなった理由(と、日本の笑いの質)

気が付けばテレビは「MotoGP」と「ベストヒットUSA 」しか見なくなった。自分でも不思議だと思っていたが、むしろ嫌悪感を持ってしまっている。それはどうしてだろう?と思ったことがある。

 

もちろん考えてみればいくつか理由は思いつく。やたら悪いタイミングでCMが入ること、その後に尺稼ぎのためか、CM前の場面を何度も繰り返す。その度に思考の繋がりはバッサリと切られ、興味を失っていたこと。また、いつみても同じようなお笑いタレントの楽屋落ちのような話題が続く。お笑いタレントが自分とは関係のない番組にまで出張ってきて、質の悪いコメントを残していく。秘境の温泉に出掛けて行ってレポート、美味しいものを食べてレポート、さまざまなアトラクションを体験してレポート。それが本来の仕事?ニュースもなんだか煽動的み見えてしまう。多くの情報を付き合わせてみないと事実かどうか判断できないなんて報道じゃないだろう。

もちろんその辺は様々な事情もあるのだろうし、テレビ側や広告主側の事情もあるのだろう。ただ、決定的に見なくなったのは、おそらく「そこ」じゃない。

 

一番気持ち悪いなと思ったのは、ウケを狙った「笑いの質」だと思う。

  人を貶めて取る笑い

見ていて気持ち悪い。気が付くと周囲の子供たちまでマネをして同じようなことをしている。これもイジメの一旦だと考えるのは考えすぎだろうか?それにしても、人の悪口を言って笑いを取る、それで笑う人達、それを「美味しい」と表現するお笑いタレントたちのズレた社会性。気が付けば「ひな壇芸人」としてそんなタレントが群雄割拠していた時分がある。それに耐えられなかったのだと思う。

 

人を貶めて何が面白いのか?やられる方まで「美味しい」と言って笑っている。ドッキリカメラのような番組だと更に酷い。芸人の私物を番組内で壊してみたり、私生活にドカドカ入ってみたり、時には暴力を振るってみたり。それが芸人の宿命?身体を張れ?そういうものを人間の社会性と酷くズレたものとしてみていた。形容するのなら「吐き気がするような場面」。

 

教師が指導として体罰を加えたと大騒ぎする世間と、お笑い番組で酷い目に遭う芸人面白いと考えることを同列にしてはいけないことは分かっている。それでも、その場面は酷く残酷で奇異なものに見える。体罰はいけないと言っている「口」と、イジメはいけないと言っている「口」と、残酷なネタを見た時に面白いと笑うテレビの「口」。みんなはそうじゃないのか?今の人達ってそういう人達なのか?

視聴率を稼ぎたい。理解できる。予算が少ないからドラマ(や映画)の質が落ちる。それはちょっと分からない。予算が少ないからギャラの少ない俳優でタレントを使う。それもまあ、分かる。でも、海外だと低予算でも良い映画やドラマはたくさんある。結局、様々なことへの訴求を欲張り過ぎて、過剰で不適切な配役やインパクトを作ろうとする。どんどん酷くなる。負の連鎖とも言って良いんじゃないだろうか。それがこの有様を作り上げたひとつじゃないのかと思う。昔のお笑いは純粋に、幸せに「笑える」ものだった。

 

テレビを見ないのは、そういうことも含め、端的に言えば「面白くない」のだが、もう少し掘り下げて考えると、みんなが言う(考えている?それともテレビ側が?)面白さというものが「人を貶めて取る笑い」の種類や場面がとても多くなったと感じるからだと僕自身は思う。みなさんはどうですか?「テレビが面白くない」。その根源にあるものはなんだろう?それが制作側とひどく乖離している・・そんなことを考える日曜の朝であった。

 

追記

余談だけど、ついでに言うと音楽もそうだね。聴きたいのは音楽じゃなくて、「どんな人が歌っているか」なんだよなぁ・・。場合によって「余計なオマケ」まで付けて。だからどんどん質が落ちる。ピントがズレてるが、まあ、今はそういうモノなんだろうね。