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南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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名は体を表す(あなたの名前の由来は?)

小学生の頃「自分の名前の由来は?」という宿題が出たことは、多くの人が経験しているだろう。僕の名前は、その時代にある企業の総帥をしており、大変頭の良い人であったということから、その方の名前をいただいたと聞いている。
だが、両親にはその他の意味も含めてあった。「礼儀正しい、思いやりのある人になりますように」という願いだ。

「キラキラネーム」が流行りだしてどのくらい経つだろうか?色々と物議を醸し出す話題ではあったが、ある程度は僕と同様に、親の願いが込められたものであるだろう。だが、あまりに物珍しい?命名をされた子供たちのその後の人生ではそれなりに苦労が伴うことと思う。本人の負担という意味では、読み方が分からないというのは傷が浅いが、なにかのキャラクターであったり、「ネタじゃ?」と思えるものもある。いずれにしろ、子供は残酷なものだ。彼らがまさに「ネタ」としてイジメの対象になったりしないことを願うばかりだ。

 

さて、今日のお題は「キラキラネーム」ではない。「名は体を表す」ということだ。
以前に「人間は40代になったら自分の顔に責任を持て」と書いたことがある。人間の内面というのは顔に出るものだ。自分さえ良ければ良いと考えるような大人は、やはり下品下劣な表情をしている。僕自身がこの年になってみて、それが更に分かるようになってきた。映画「ストレイト・ストーリー」でも、主人公の老人が、若者に「老いて良かったと思うことは?」と問われ、「殻と実の区別がつく」と答えたことも印象的なシーンである。

blog.rei1963.net

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では、名前はどうか?「名は体を表す」という諺は、人や物の命名はその本質や見た目を表しているという意味である。例えば道具であれば、多くはその機能を表す言葉が使われていることに気がつくだろう。
では、人はどうか?両親は僕に「礼儀正しい、思いやりのある人になって欲しい」と現在の名前を付けた。自分はその両親の思いに叶うような人間になっているだろうか?とよく考える。しかし不思議なことに、人間に関して言えばその命名の通り、またはそれに近いタイプに育つような実感がある。毎日のように呼ばれる名前はある種の呪文でもあるのだと思う。今一度、自分の人生を、そしてその顔を見てみると良い。そこに両親の願いが詰まっているのであれば、それはきっと素晴らしいことだと思う。少なくとも両親は「悪人になって」とは命名しないだろうから(一部、そうでもないケースもあるっぽいが)。

 

脱線するが、面白い経験?がある。ウチの兄は早産で、産まれた際に1,700gしか無かった。医師からは「この子は生き残れない。せめて強い名前を付けてあげて下さい。」と言われたそうだ。両親は最初に考えていた名前を止め、戦国の騎馬隊を思い浮かべるような名前に変更したところ、兄は奇跡的に危機を脱した。その時両親は、命名の力は凄まじいと思ったそうだ。もちろん、それはいくつかの偶然の産物であるだろう。だが、そこにある思いが結実した時、人はそこに奇跡を見るのだと感じた逸話である。

 

話を戻そう。「名は体を表す」である。今までの経験で、人の名前にもそれが当てはまるなと思ったことは多々ある。つまり、逆に考えれば人に限らず物やソフトウェアに対しても命名というのはとても重要なことだと思う。例えば、お菓子の商品名であったり、サービスの名称であったりもするだろう。災害に遭った際、大昔の人間がその教訓のために付けた地名などもそうだろう。名前には意味があり、ある種の呪いであるとも思う。

 

ある小説を読んでいて、子供の主人公が親に自分の名前の由来を訊くシーンがあり、色々なことを思い出したので書いてみた。命名は慎重に。思いを込めた命名は、いつかその人や物を育てる、ある種の栄養剤になる・・そんな思いを持つのであった。