南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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日本人こそ観るべき素晴らしい映画(映画:ガン・ホー)

昨夜、録画されていた「ベスト・キッド・シリーズ」を観ていて、「ベスト・キッド2」の最後に一瞬「ロドニー・影山」さんが映る。この名前を知っている日本人はほぼいないだろう。だが、僕にとっては映画「ガン・ホー」で見せる典型的ステレオタイプの日本企業人のひとりとして強く心に残っている人物である。そう言えば、この映画にはあまり触れていないなぁ・・と思いつつ、よく考えれば自分の中でも5本の指に入る名作であることを思い出し、このエントリーに手を付けてみることにした。

閉鎖された小さな街の自動車工場。ハント(マイケル・キートン!)は街の活気を取り戻すため、日本の自動車企業「アッサン自動車」を誘致するために奔走する。しかし、日本人とアメリカ人の文化的、経済的な違いや摩擦により、更に、双方に「良い顔」をして仲を取り持とうと嘘まで付いて誘致を成功させようとするハントに、労働者達は激しく反発する。彼等はお互いに歩み寄れるのか。誘致は成功するのか?

この映画、ロン・ハワード氏が監督している。今では名監督であるロン・ハワードだが、この映画も彼らしい優しさを込めた視点で描かれている。この映画が制作された1986年は、正に日米の経済摩擦が問題とされていた時期で、この作品のリアリティをあげている。が、同時に公開に慎重にならざるを得なかったのだろう。作品自体はコメディだし、日本人の描き方があまりに当時の「アメリカの日本人感」の描き方がステレオタイプであったためか、同時に経済摩擦の助長を配慮してかこの映画は日本では劇場公開されていない。だが、それは間違いであると思う。日本人こそ観る映画ではないかと思う。

 

実際、ロン・ハワードならではの視点の暖かさが映画全体の雰囲気を和やかで優しいものとしているが、誇張して描かれた日本人は今の日本人と言っても通じるのではないかと思う。ビジネスと家庭の関係、強い同調圧力、強い縦社会を構成した虚構な忠誠心。今の日本の多くの企業、そのままじゃないか。

会社は人生ではない。人生の中に会社や仕事がある。尊重されるのはその人生を真っ当する個々人であって、会社の生産性ではないのだ。その辺、単なる日本人批判ではなく、アメリカ人気質も含めて非常に公平な描かれ方をしている。どちらかに偏った正義も理屈もない。それぞれが異なる民族の中で異なる文化を持ち、それぞれが衝突した時にどうすれば良いのかをこの映画は教えてくれる。それは単に日米摩擦だけの問題ではなく、「人と人との繋がりはこういうものだ」と教えてくれるのだ。

 

双方の仕事に対する向き合い方が、最終的にアメリカ人労働者はストライキを始める。やってらんねーよ。その気持ちは分かる。そういうものだろうとも。だが、このままではテストとして開始された工場誘致は叶わず、この街は再び経済的な危機を迎える。しかし、お互いのトップであるハントと工場長である日本人の高原(ゲディ・ワタナベ)は、シュリンクした工場の労働者達の気持ちを尻目に、二人は衝突し、会話し、そして理解し合い、結果的に誘致のための課題である生産台数をこなすために黙々と二人だけで車の生産を始める。もちろん、二人だけでは無理な台数である。

 

そして、ここからが最高に良い。実際にあり得るかどうかは別として、この二人の友情に似た孤独な共同作業を見ていたアメリカ人と日本人は、その姿に打たれ、徐々に生産に参加し始める。日米と言う括りだけでは語れない、違うもの同士が同じ目的に対しお互いを尊重した結果がこの流れを作った。しかし、当然、課題であった生産台数には遠く及ばない。最後には社長(なんと山村聡、本人!)の点検までの時間もなく、「エンジンなんか付けなくて良い!とにかく作るんだ!」なんてデタラメな言葉も出るが、そこにはこの工場誘致を何とか成功させて街に潤いを取り戻したい、そしてなによりせっかくできたアメリカ人と日本人のこの絆を壊したくないという思いで突貫工事に取りかかる。もうね、このシーンが最高だったよ。涙が出るくらい感動した。その時に、前述のロドニー・影山さんが、ランニング姿でネクタイをハチマキ代わりにして生産ラインで踊り出す(この辺もステレオタイプだね。(^_^;)でも最高のシーンだ。)。まるでみんなの手を合わせた共同作業に呼応するように。このシーンが今でも記憶から色褪せないんだ。初めて観てから30年近く経つのに。なので、「ベスト・キッド2」の最後にほんのワンシーンでチラリ現れるロドニーさんを覚えていたわけだ。

 

結局、生産台数は見かけ上、達成された。もちろん不良品だらけ・・というか、そもそもエンジンすら付いてない車もある。試験操業に失格を宣言する山村聡に、マイケル・キートンが言い放つセリフがこれも最高に良い言葉だ。

 

「僕はここで作った車に乗りたい。これはアメリカ人と日本が力を合わせて作った車だ。素晴らしい心のきずなを表すシンボルだ。僕はこの車をほこりに思う。」

 

今の日本人にこんなセリフが出せるだろうか?ここで涙腺が緩む。工場の労働者双方にいい加減で嘘を交えた対応をしていたハントも、また、この協業で学んだのだ。お互いを認めることの素晴らしさを。しかし、ハントが乗った車はまともに走らず、ドアが落ちたりタイヤが外れたり。でも、それは本質ではない。異なるもの同士が互いに協力した姿を象徴するものだ。クスリと笑える。ロン・ハワードらしい温かい笑いが。素晴らしいシーンである。

 

実際には日本人は山村聡しか出ていない。なので、日本人役の彼等の日本語はたどたどしく、または今では狂信的な会社への忠誠心を示す啓発セミナーなどはほとんどあり得ないだろう(いや、案外まだまだあったりするかも知れないが)。様々なステレオタイプを演じた日本人に失笑を覚える人もいるだろう。アメリカ人の反発も同様だ。今の世の中ではちょっと考えられないくらいの小さな街の閉鎖的な気質と気楽さ。だが、それらをすべてまとめてこの映画が作られている。

当時はレンタルビデオ店で何度も借りてみた。その後にDVDが発売されて(映画のVHSビデオはひどく高価だったし)、やっと手元に置くことができた。今でもたまに思い出したように見る。できればBlu-rayで出て欲しいな・・とは思うが、あまりに無名で、それほど売れないだろうな・・とも思うから仕方がないところでもある。

 

そして、今日、再度この映画を観ようと思う。家人が外出しているから、もちろん戻ってから一緒に。家人にも是非観てもらいたいからだ。そして、多くの日本人にも観てもらいたい映画でもある。今の日本人は昔から何も変わっていない。むしろ酷くなっていると感じる。企業の縦社会(ウチはそうじゃないよと言う人が多いが、勘違いも甚だしい)、閉鎖的で独善的、その上、同調圧力の強い社会。それでいて、弱者に厳しく、「自分さえ良ければ良い」多くの大人たち。そんな国でまともな子供達が育つ道理がない。

こんな映画のように、他者を認め、支え合い、しかも国境をも越えたきずな。そんな社会ができあがることを祈りたい。それはこれから社会を支えて行く子供達の育成と、幸せな未来に向かうことでもある。