南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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これが怪獣映画だ!(映画:昭和ガメラシリーズ)

口直しというわけじゃないが、ガメラシリーズを観返してみた。

もちろん平成版は特撮がある程度進化(1995〜1999年)している。もちろんそれでも現在のCGを多用した2014年のハリウッド「Godzilla」にはそのリアリティ(というのも変だが)は敵わない。

しかし、やっぱり「これが怪獣映画だ!」と思うのはゴジラではなく「ガメラ」であると思っている。

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昭和ガメラは以下の8作がある。

  • 「大怪獣ガメラ」1965年
  • 「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」1966年
  • 「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」1967年
  • 「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」1968年
  • 「ガメラ対大悪獣ギロン」1969年
  • 「ガメラ対大魔獣ジャイガー」1970年
  • 「ガメラ対深海怪獣ジグラ」1971年
  • 「宇宙怪獣ガメラ」1980年

この中では基本線としてガメラの位置付けは「怪獣でありながら子供の味方である」という基本線は崩されていない。もちろん、戦いのために街を破壊し多数の巻き添えを食らう人々、その是非は?と問われれば、先日の「マン・オブ・スティール」から「バットマンVSスーパーマン」に繋がる同様の問題があるのだが、少なくともガメラは「人間の味方」であると捉えられると思う。むしろ引き合いに出すのなら「ゴジラ」になるわけだけれど、「ゴジラ」の場合は1954年に公開された最初の「ゴジラ」からモスラの大活躍が見られる1964年の第4作目「モスラ対ゴジラ」(これが個人的には一番好きかな)までは完全な「悪」である。

気に入らないのはこの後に「三大怪獣 地球最大の決戦」でゴジラが「人類の味方」に転じたことである。それそのものは悪いと思っていない。「転じた」ことが僕の中で持っていた「ゴジラのイメージ」が崩れたことだ。恐怖を具現化した対象であってこその「ゴジラ」であると思っていたからだ。その後にゴジラはどんどんと迷走を続けていくことになり、観客動員も減っていくのである。いや、観客動員が減ったことはあくまでも僕の想像ではあるが。個人的には「モスラ対ゴジラ」で終焉を迎え、2014年のハリウッド版「Godzilla」で復活したと思っている。もちろんハリウッド版「Godzilla」も「悪」ではなく、「地球の守護神」であり、どちらかと言うと人間の味方であることは理解しているのだが、咆哮をあげるGodzillaを観てシビれた。もう、正直「シビれた」のである。これこそ僕が子供の頃に見た「ゴジラ」であると。

 

さて、話しをガメラに戻そう。

「ガメラ」は当時の東宝対大映、そして「ゴジラ」の大ヒットによって生み出されたと言っても良いだろう。ただ、皮肉にも「大怪獣ガメラ」の公開時には既にゴジラ人気は縮小し始めていた。どの回なのか忘れたが、ゴジラが赤塚不二夫氏の「おそ松くん」の登場人物である「イヤミ」の逆、「シェー!」のポーズを取ることがある。僕はこれが今でも思い出す最悪のゴジラの姿だが、調べてみると奇しくも1965年「怪獣大戦争」の回であることが分かった。つまり、最初のガメラの誕生の年である。

この時僕は2歳。もちろん最初に観たのはテレビ放送だったと思う。なので更に数年後のことだろう。ビデオの発売を調べてみると1982年頃。ただ、この頃はひどく高価でとても買えるようなシロモノでは無かった(まあ、今でも邦画はやたら高いがね)。記憶にハッキリ残っているのは自宅のテレビの画像だ。

 

長々と昭和ガメラの歴史みたいなことを書いてしまった。

僕が書きたかったのはここじゃない。「ガメラ」が正に怪獣映画であると言うのは、最初の「大怪獣ガメラ」は謎の生物として地球の総力を挙げて倒そうとする。科学者がいくつも作戦を立案し、それを実験したが結局倒すことはできず宇宙に放り出すわけだが、その「人知を超えた最強の存在である」ことが怪獣であることを際立たせている。この当時は当然着ぐるみでガメラを動かし、街はジオラマである。技術的にも予算的にも色々と課題はあったろう。もちろん見本として「ゴジラ」があるわけだが、炎を吹き出すガメラ、爆薬を大量に使った破壊シーン、最初の登場では氷の中から現れるガメラがスケール感、そしてリアリティたっぷりに描かれている。当時の様々な制約の中で作られたにしてもこの「らしさ」は何だろう?と今観ても思う。

「亀」を基本としながらも、頭と手足を引っ込め、炎を出しながら回転して飛ぶアイディアも秀逸だった。火や光線なんかを武器として使うのなら誰でも思いついたろう。何しろゴジラがそうだ。だが、ガメラが炎を出しながら回転しながら飛ぶ姿を最初に観た時の衝撃は今でも忘れない。まさにハリウッド版「Godzilla」の時と同様、子供ゴコロに「シビれた」のである。その後、第4作の「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」で更に「子供の味方」であることをより強めていく。つまり、同時に僕自身の「ヒーロー」にもなったわけだ。当時のことを今でも覚えている。映画の中でガメラと接する子供たちに強い憧れを抱いたものである。むしろ嫉妬だと言っても良い。

 

で、実際にこの年齢で先日「平成ガメラ」を観、ハリウッド版Godzilla(ちなみに丁度テレビ放映もあったが、音響のチープさに耐えかねてBlu-rayで観た)、そして先の日曜日に「シン・ゴジラ」まで観てきた上で「昭和ガメラ」を観たわけである。第1作である「大怪獣ガメラ」。もちろん特撮的なものは色々とチープであることは仕方がない。だが、それでも上述したようにスケール感とリアリティは維持しているし、氷から這い上がってくるガメラの怖い面構えを観た瞬間、やはり「シビれた」。怪獣の怪獣らしい姿と迫力。特撮のチープさなどどうでもよくなってくる。この時に感じた。絶対的な存在、それが「怪獣」なのだと。人類などには倒すことのできない絶対的な強さと迫力。それがこの「大怪獣ガメラ」にはある。

もちろんその後のシリーズにおいて徐々に子供の味方であることを前面に出した結果、ガメラは怖い存在では無くなっていくのだが、やはりその絶対的な強さはヒーローのそれである。戦いにおいても敵との対峙において、様々な工夫が動物などとは一線を画し、最終的には傷付きながらも敵を圧倒するカッコ良さ。そしてそれは見事「平成ガメラシリーズ」に受け継がれている。物語として、敵との戦いの中で一旦負ける。そしてそこから蘇り、今度は様々な工夫をして子供たちを守り、敵を倒す。これこそ「怪獣映画だ!」だと感じたのである。

 

世の中の知名度や観客動員、興行収入を比べれば「ゴジラ」には及ばないのは分かっている。だが、僕の中ではあくまで「怪獣」と言えば「ガメラ」であって、それは永遠不滅のヒーローなのである。

 

追記

これを書いていたら「モスラ」を観てみたくなってきた・・。あの「ザ・ピーナッツ」の歌声と共に。