南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

とりあえず職場復帰が決まった

何と言うか、とりあえず来週からの職場復帰が決まった。

僕個人の思いとしては、会社に対してなんの未練もない。あるのは、34年も勤めた会社を病気休暇からそのまま辞めることに抵抗があったから。せめて一度会社に出て、会社と自身の気持ちの変遷を体感した上で社内を見つめてみたいという思いもある。まあ、愛していた会社をこのまま辞めるのは「偲びなかった」のである。

 

年寄りの昔話に含蓄があったとしても、それが若い世代に必ずしも有用でもなければ興味もないだろう。ましてや他人ごとであればそれは読むに値しない程度の価値しか無いだろう。それでもこんな夜中に起き出して、自分の気持ちに整理を付け直さないと会社に行く足と脳味噌が重くなる。

 

思えば34年も職場にいたのだ。当初の10年は楽しかった。物事を覚えること、それが実になること、そしてある程度の評価を受けることにモチベーションを感じ、日々、楽しく仕事ができていたんじゃないかと思う。

それが変わってきたのは能力主義と名前を変えた、短期における人事評価精度制度とそれに対する報酬という格差の設定だ。社内の空気が悪く重くなるのを感じた。職場の仲間がある日、互いの足を引っ張り合う存在にもなった。「新しいものを生む」職場が途端に政治臭くなる。大袈裟な言い分ではなく、僕の好きだった会社はその時点で無くなっていたのだと思う。

 

やりたいことは相変わらずできている。ただそれも上司の評点の範囲でのことだ。予算を付けるための資料作り、それを実現可能であることを示す技術的な要素の説明、それが行われることによる会社的メリット/デメリットの整理、実現までのマイルストーンの検討、そしてビジネスモデルの構築と予想される収益の提示。小難しい話しを小難しい資料にしなければ多くの関門を突破できなくなった。評価制度の浸透と共に、各ヒエラルキーに配置された「責任」という評価の元でだ。言葉を変えれば、その関門ごとの「気分」で左右される。

社内の空気が悪い。個々が自分のためだけに仕事をしていると感じる。言葉を悪くすれば、「そんなの知らねー、勝手にやれ」と言われていると感じている。そう言いながらチームを尊重し、同時にチーム内で成果の争いを陰で演じ、結果、期末になると評価というカタチで大幅な給与の格差が生じる。矛盾している。

 

正直、「やってられん」というのが発露。そのうちに、50代になって自分の残りの人生を考えるようになる。オレの場合は足が悪くなったこともある。杖無しでは歩けなくなったこともある。「自分に残された時間はどのくらいあるのか?」「そこに人生ちしての幸せはあるのか?」と。死ぬ時に「オレの人生は幸せだった」と思って死ねるのかと。

若い頃には評価制度らしきものも給与の格差は無かった。それでもモチベーションは強くあって、職場を良くするための改善案を出し、積極に物事の変革と前進に邁進したものだ。そこにあったのは、能力主義でも成果主義でもない。個人として仕事に対する「やり甲斐」だ。「モチベーション」と言っても良いが、要は仕事の結果に対する純粋な達成感。時には数年を要したものもある。短期的に結果が出たものもある。それでも評価は等しく、社内の風通しは良く、人間関係は良好だった。間違いを間違いだと諭してくれる先輩たち、一緒にやろうぜと同調してくれる仲間たち、古きものに全てを肯定しろとは言わない。それでもなお、「昔は良かった」と言えるものがある。

 

現代は心を病んでいる人が多い。多くは「時間外労働」に多くの焦点を当てられているが、それは的が外れている。多くは人間関係の悪化であり、それがどうして起こっているかを掘り下げられていない。個人的な思いの一端は上に書いた通りだ。社会はどんどん悪くなるだろう。断言しても良い。自分だけ良ければ他者なんかどうでも良い社会はもう随分昔から始まっている。政治家たちを見ても良い。ニュースで流れる悪事に対する子供じみた言い訳をあげつらえて見ても良い。そもそも格差を付けなければ生きていけない社会なのだ。そうなるのが必然でもあろう。

今日も電車に乗る一時間余、優先席に立ちながら一度も座ることができなかった。爆睡する若きサラリーマンを見つめながら。最近は怒りはあまり無い。彼等も疲れる環境にいるのだと分かる。ただ、同時にこう言う世の中であることを認識、絶望に近い悲しさに触れるのである。みんな同じなんだなと。

 

まあ、夜中のグチと思っていただくとして。明日はまた明日のこと、何か役に立つこと、面白かったことを書いてみたいと思う。今夜は既に目が覚めてしまったので、今更薬を飲むわけにもいかず、少し復帰に向けた準備をしたいので作業をしよう。正直、気は重くない。むしろ、やっと動き出したという気持ちが強い。自分の良き人生と、家人の幸せな人生を選ぶために。