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南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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リメイク版「ベン・ハー」は前作を超えられるか?

映画

以前から話題に上り、当初は2016年8月に公開予定だったものが大幅に延期され2018年公開予定の「ベン・ハー」。もちろん、1959年のリメイクだ。

 

「ベン・ハー」と言えば映画好きでなくても多くの人は知っているだろう。チャールトン・ヘストン主演で公開されたこの映画は、アカデミー最多の11部門を受賞。それは現在でも超えられていない。もちろん、時代的に映画の本数や多彩さなどの背景も無視はできないが、それでもこの作品が偉大なものであることは間違いない。

しかも、この1959年版も制作50周年記念としてリマスター版Blu-rayが販売されている。

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何回も繰り返して再販をされていることも、この映画の人気と評価の高さ所以であろう。

紀元26年、王族として誕生したジュダ=ベン・ハーは幼馴染みのメッサラと共にローマ帝国を支えていた。しかし、メッサラとの意見の食い違い、新総督への不運な事故のため、ベン・ハーは奴隷とされガレー船の漕ぎ手の刑に処されてしまう。その時、ガレー船に送られる途中、乾きに苦しんだところに不思議な男から水をもらい、不思議な力を得て窮地を乗り切る。ベン・ハーはその後、マケドニア艦隊との海戦で総司令官アリウスを助けたことで、アリウスの養子となり、再びローマの市民権を得る。しかし、彼が刑に服している間に家族であった母と妹は病死したと知らされ、ローマを深く憎むことになる。憎しみに燃えたベン・ハーは仇敵メッサラを二輪戦車競走で打ち破り、死の淵に立つメッサラから実は母と妹がライ病にかかり、実はまだ生きていることを知らされる。母と妹を救い、街に出たベン・ハーは巷で噂の救世主「イエス」の磔に立ち会うことになった。なんとイエスは、彼が奴隷に身をやつしていた時に水を与えてくれた男だった。磔が行われた途端、天が雲に覆われ、雷雨と暴風に見舞われる。救世主の死に絶望したベン・ハーだったが、同時にその恨みも流されてしまう。そしてその雷雨の後に、母と妹が病気から回復するという奇跡を目の当たりにする。そう、イエスはやはり救世主であったのだった。

うーん、ちょっと長くなってしまった。全編で223分のこの映画の魅力を簡潔に纏めるのはなかなか難しい。しかし、この映画にはそれを一気に見させる素晴らしい「力」がある。オスカー11部門受賞はダテじゃないのが分かる。

 

僕は当時はテレビで観ただけなのだが、改めてこの長編大作をジックリと観ると、その見事なできばえに感嘆する。まずはそのスケール感。今のCG全盛の映画ではこの世界感はちょっと出ない気がする。それは旧世を舞台にしているせいもあるし、ほとんどがリアルな舞台で撮影されていることもあると思う。現実的に考えるとおかしいのだが、リアリティを感じるのだ。

そして改めてこの「ベン・ハー」を観ると、世界感の大きさに圧倒される。こう書くと曖昧で分かり難いだろうが、最近の映画が身近なところで起こっている小さな事件とすると、この映画は世界を揺るがすような壮大さと同時に、自身の内面を晒され、強引に振りかえさせられる。それはどの映画でも同様なのだろうとは思う。どの映画でも事件があっても自らの気持ちや環境にてらし、自分を振り返ることになる。だがこの映画では、それが地球規模で広がっている気がするのだ。自身の世界がいきなり広がったように。実際にはほとんどがエルサレムを舞台にしているのだが、ストーリーのベースにキリストの物語であることを絡めているせいもあるだろう。国の利益、集団の利益、しかしそこにあるのは個々の気持ちであって、罪であり、その集まりが世界を作っていることをも思い出させる。キリストはその多くの罪を一身に背負い、天に旅立つのである。

 

ストーリーに少し戻ってみると、ガレー船でのアリウスとのやりとり、海戦のすさまじさ、奴隷の過酷さがリアルだ。そして個々への憎しみも社会の成り立ちに向けられる正義感の強いベン・ハー。それがアリウスに認められ、彼を救うことにもなったわけである。また、宿敵であるメッサラとの二輪戦車競走の迫力も圧巻だ。今のCG隆盛で作られるものとは違う生々しさが「本物はこうだ!」と迫ってくる。子供の頃に観た映画でも、未だにこのシーンが頭に残っているのはカメラワークや舞台や衣装に加え、限りなく現実に近いリアリティがなし得るものではないだろうか。実際にはどこまでがリアルで、どこかに特殊撮影が使われているのだろうな・・とも思うシーンもあるのだけれど、それでも描写の迫力を損なうことはない。

もちろん、時代的にどうしてもチープにならざるを得ない部分も無いわけではない。それでも、この映画のリアリティにはひれ伏せさせる「何か」がある。僕は、普段ならベン・ハーとエスターの甘いシーンも余計だと思ってしまうのに、この映画だとすんなりとストーリーの流れに乗れる。それは全てが必然的なシーンであること、細部まで計算され、作り込まれているシーンであるからだと思う。いやぁ、凄い。今の世の中だからこそ、この1959年という作成年月が重みを感じる。

 

まだまだ書き足りない感じではあるのだが、映画的ドラマチックな演出が過ぎて見える部分はどうしても残ってしまう。特に、キリストの物語をベースとした部分には賛否両論があるだろうと思う。ただ、個人の憎しみをも「許し」、それをより良き世界を前に進めるための教えとして組み込まれたテーマであるとするのなら、それは個人的にはアリだと思う。

また、リマスターされたことによって、初めて観る鮮明な画質の「ベン・ハー」。ここ、ちょっと感激した部分でもある。

 

ちょっと色々と感じてしまって、うまく纏まらなくなってしまった。どうもご勘弁願いたい。

 

さて、2018年のリメイク版の出来具合が気になるところ。これだけの実績を残した作品のリメイクは勇気のいるところだろう。是非良い映画になって欲しいと思うし、今から楽しみで仕方がない。また、この機会に1959年版の「ベン・ハー」も是非観てもらいたいと思う映画である。