読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

日常生活で思うこと、電子ガジェット、オーディオ、映画、小説を紹介するサイトです。

【ネタバレ】あざやかなスピード感?(映画:マネーモンスター)

映画

そろそろ夏日がチラホラと訪れはじめた6月。年々暑さが増すなぁ・・と小規模な範囲で地球温暖化を感じつつ、昨日はジュディ・フォスター監督作品、「マネーモンスター」を観てきた。

「マネーモンスター」は人気の株式投資番組である。その番組で紹介された通りに投資し、全財産を失ったカイル・バドウェルは番組をジャックし、その怒りを司会のリー・ゲイツ(ジョージ・クルーニー)人質に取り、その怒りを爆発させる。ゲイツとプロデューサーのパティ・フィン(ジュリア・ロバーツ)は、その誤った投資情報を緊迫した状況の中で解明し、株式を違法操作した企業投資家に迫る。

とにかく第一印象は、そのスピード感である。ゲイツを人質に取ったカイルとの交渉から、そこに潜んでいた投資家の密かな企みに辿り付き、そして事件が急展開してエンディングまでが息つく暇もなく落ちていく。全体的な上映時間が短いこともあって、パティの手際の良さ、人質となっているゲイツとカイルとのやりとりが緊迫感を意地したままに急展開のエンディングまでを一気に見せる。

見終わった直後は「なるほど」と思えるのだが、後から考えるとあまりに手際が良すぎて「できすぎ感」がわき出てくるが、それはそれで映画としてのテンポが良いと言える作品であると思う。事実、最後のどんでん返しまでアッという間だ。

それは、昨今の株式投資の安直さと求められるスピード、そして、自動化され市場動向にスポーツカーのタコメーターばりに過敏に反応する投資システムの脆弱性だといいつつ、その裏で暗躍していた企業投資家の企みに気付くまでが圧倒的に速いのである。そう考えるとシステムのバグだと主張する投資家、そして彼が南アフリカの鉱山ストを利用して不正に株式を操作していた事実にジュリアがリーチするまでが不自然に速い。実際にこうした番組のプロデューサーがハッカー集団(と言っても二人のオタク風情だが)を持ち駒として持っているものか?とか、企業投資家の秘書が自らの雇用主に対する疑惑を解明するため、スマフォの情報まであんな簡単に見たりするものだろうか?といった、ある種の予定調和を感じずにはいられない。

 

だが、それはそれで後から感じたことで、この映画のできが悪かったとは思わない。ジュリア・ロバーツとジョージ・クルーニーがイヤホンを通じて別室から犯人に気付かれないように連絡を取りつつ、その投資銘柄の不自然な動きへの追求、そして事件解決への誘導の手際が緊迫感を維持しつつ、スピーディーで小気味良い。映像も緊迫感を削ぐことも無く、そして二人の経験豊かな俳優のやりとりも不自然さが無く(というか、ジョージ・クルーニーはその「らしさ」自体が微妙ではあるが)、そして様々な疑念が気持ちよく「晴れていく」様は、画面に惹き付けられる魅力がある。

個人的には「みんなハッピー」的にせず、事件を起こした犯人がその罪を最後に償わされる結末に終わることは良かったと思う。ああいう終わり方が苦手な人がいるとは思うのだが、自身が起こした罪がどういうことであるかを明確にしたことは、社会に対する腑に落ちる結末でもあるし、「悪いことは悪い」し「悪いことは罰を受ける」というある種の正しさでシッカリと織り込まれたことは良かったと思う。

 

また、監督であるジュディ・フォスターとしては、数値データとして安易に流れる金融市場への警鐘としてもこの映画のテーマを捉えているようだ。

toyokeizai.net

僕個人としては、投資などには手を付けた経験が無いが、世界がこういった不自然なスピードや流れでお金をやりとりしていることには不安を持っている。もちろん、多額の貯金があるわけでもなく、細々と生活している身としては現実感としてこういったシステムへの執着は少ないのだけれど、結局、「お金があるやつが儲かる仕組み」には逆説的に「貧乏人はそこから這い上がれない」という事実を持って不自然さを感じることはある。所謂「格差社会」の拡大であるわけだが、それが最終的にはどういった世界をもたらすか?歴史を紐解けば、その辺の世界感はある程度見えてくるし、それはそれで不安はある。まあ、残りの人生を考えれば僕自身が体感しても大きな差は無いのだろうが。関係無いが、一日30円のお小遣いを母親から現金支給?されていた小学生の頃を思い出すが、実際にお金のやりとりと言うのは、こういった姿が自然であるという気持ちも持っている。それが今の不安感を煽ってもいるのだろう。

 

とにかく、色々と後から「うーん」と思う部分はちょっとあるけれど、総じてそのスピード感がもたらす小気味よさのある映画だと感じた。日本ではこういうテーマの映画はあまり受けいられない感はあるが(それはそれで問題だと思うが)、映画としてまとまりの良さも含め、「ジュディ・フォスター、なかなかやるな」と思った作品であった。