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南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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哀しみの深淵を垣間覗き観る恐怖(映画:機動戦士ガンダム THE ORIGIN III 暁の蜂起)

映画

昨日は色々と忙しくて夜まで用事でいっぱい。それでも「機動戦士ガンダム THE ORIGIN III 暁の蜂起」は観たくて、家でiTunes Storeのレンタル版を観た。もちろん、1も2も既に観ているし、コミック版も読んでいる。

母を失い、アルテイシアとも別れを告げ、一人復讐に向かうキャスバル。テキサスコロニーで「エドワウ・マス」と名前を変えていたが、コロニーで偶然出会った、正に自分にうり二つの「シャア・アズナブル」と言う青年を多くの人を道連れとして宇宙船を爆破し入れ替わり、そして軍人となる。優秀な成績を収め、頭角を現すシャア。そして、そこで出会ったザビ家の末弟、ガルマ・ザビからの信頼をも勝ち取り、世界を戦争へと駆り出すのであった。

この映画は、基本的にファーストガンダムにいたる、「赤い彗星 シャア・アズナブル」の物語である。コミック版「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」ではファーストガンダムの部分も含めて描いているが、映画版ではその中から「シャア・アズナブル」という一人の戦士を生み出す過程を描いているものだ。「キャスバル・レム・ダイクン」が、いかにして「シャア・アズナブル」という復讐の権化になったのか?

 

この映画、とにかく切ない。あの「赤い彗星」がどうして誕生したのか、ファーストガンダムに描かれなかった過去の悲惨な物語。特異希と言える明晰な頭脳と運動能力。そして、少年の頃から既に芽を出していた「ニュータイプ」の萌芽。

しかし、全編のベースにあるものは「復讐」である。父を、母を、そして穏やかな生活までもを奪われた一人の人間の憎しみの物語である。その目的のためなら他人の命など厭わない。その並外れた執念の強さに戦慄すると共に、全編に流れる深い哀しみの深淵が横たわっている。彼がそもそも優秀な人間であったことも災いだったであろう。いや、彼にとっては幸いだったのか?過去を全て捨て、たった一人で闘い続けるキャスバル。どんなに彼が学業/訓練で優秀な成績を収めても、そして武勲を挙げてもそこには哀しみしかない。彼の瞳を見る。邪魔なものは冷酷に切り捨て、時折見せる復讐の目には、燃えたぎる憎悪の炎と共に悲痛な哀しみの澱も見える。まさにこれはシャア・アズナブルの復讐の物語なのだと気付く。

 

彼は、最終的にはファーストガンダムの中でキャスバルとしてキシリア・ザビの前に引き戻される。そこで彼は、今までの復讐にピリオドを打ったのかと思った。しかし、その復讐は最後まで完遂され、ついにはオールド・タイプと呼ばれる旧人類に対する憎しみにまで拡大されていく。いったい彼の魂はいつになったら癒えるのか?

 

「逆襲のシャア」において、彼は一旦の結末を見たようにも思う。しかし、彼は別の形で再び「起動戦士ガンダムUC」に現れる。彼の哀しみが如何に深いものか、その想像を絶する執念の根源を書いたのがこのシリーズだと考えている。

 

つまり。非常に哀しい、絶望の物語なのだ。確かに映像的にもストーリー的にも非常に質の高い映画だと思う。だが、見終わった後に映画の完成度に浸るのと同時に、「シャァ・アズナブル」の哀しみまでもが伝わってくるような気がする。ガンダムファンだったら、是非観ておくべきシリーズ・・僕はそう思う。

おまけで

いたるところでファーストガンダムのオマージュが出てくる。アムロがサイド7にいた理由、ミライ・ヤシマの過去、あのランバ・ラルの過去、シャアがどうやってガルマ・ザビを友として従わせたのか、ユニコーンで主人公の一人となるミネバ・ザビの母ゼナの出自、モビル・スーツの開発の歴史。そして、アルテイシアがセイラ・マスとして生きる・・などなど。