南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

実はオジサンにとってのサプライズ映画だった【ネタバレ】(映画:コードネーム U.N.C.L.E.)

どうも風邪をひいたようで、熱が高い。これだけ書いたら寝よう・・そんな水曜日である。せっかく外はサンサンと日光が降り注ぎ、外出には良い感じの天気であるのだが。 

戻ってきた「0011 ナポレオン・ソロ」

今回は「コードネーム U.N.C.L.E.」。いやぁ、僕にとってはサプライズ映画だった。

実は、「UNCLE」ってところでなんか心に引っ掛かるところがあったのだけれど、ロクに調べもしなかったので劇場にも足を運ばなかった。ただ、レンタルが開始された時になんとなく気になって借りて観てみたら、これ・・

「ナオポレオン・ソロ」のリメイク映画じゃん!

まったく知らなかったので、かなり驚いた。正確には「0011 ナポレオン・ソロ」というテレビドラマで、日本でも僕が子供の頃に放映していた。調べてみると、1966年から1970年まで。僕が3歳から7歳。しっかりと覚えてなくても当然だろう。ひょっとしたら再放送もあったのかも知れないが、調べる限りは見当たらない。

ただ、「ナポレオン・ソロ」の名前と、ガルウィングのスポーツカー(アンクル・カー)はしっかりと覚えている。それが「シボレー・コルヴェア」をガルウィングにしたものだと知ったのは昨夜のことだ。

 

懐かしさに浸っているのもこれくらいにして、「コードネーム U.N.C.L.E.」に話を戻そう。

物語の主軸としては以下だろう。

東西冷戦下、ナチスの残党と思われる謎の犯罪組織が計画した核爆弾によるテロ計画。 その鍵となる核兵器科学者であり核爆弾を作り上げた科学者の娘を東ベルリンから脱出させるところから物語りは始まる。ソ連、アメリカの共闘によりそれぞれのエージェントが共闘しながら、そのテロ計画を阻止する。

1960年代の核兵器というと、真っ先に思い浮かぶのが「キューバ危機」。この物語ではナチス残党のテロ計画ということになっているが、このタイミングで米ソが手を組むシチュエーションとしては最高じゃないだろうか。なにせ1960年、冷戦のまっただ中でのことである。まずはその設定の巧さに唸る。詳しくは「米ソ冷戦」や「キューバ危機」で調べてみても良いと思うが、純粋に現代の映画として違和感がないだけではなく、この映画の持ち味を生かしつつの時代考証も考えられていると思う。

徹底された1960年代の世界感

僕はこの映画の面白さは以下だと感じた。

  • 1960年代であることを随所で見せる映像への配置
  • それぞれのキャラだちが素晴らしい
  • 深刻な場面をコミカルな手法で見せるシーン
  • 米ソの対立を個々人の関係の中で見せるシーン
  • 最後の大ドッキリとそれまでに仕込まれた鮮やかな伏線

舞台は1960年代前半(僕が産まれた頃だね)である。車や衣装のことだけを言っているのではない。個々のキャラクターの振る舞い、冷戦下であることへの描写、使う技術や場面での雰囲気作りが巧い。例えば、この原作である「0011 ナポレオン・ソロ」は「007シリーズ」の発表後(ただ、映画化の「ドクター・ノオ」は1962年公開)であり、「スパイ大作戦(のちのミッション:インポッシブル)」、そして当然「ボーン・シリーズ」よりも前の作品であることを忘れてはならない。それらを現代風にアレンジして作り直すことなく、1960年代を映像技術の進歩が更に際立たせていると感じる。

時間内にもの凄く凝縮された物語に、細部まで1960年代が細やかに配置されているのが分かる。車や建造物、背景はともかく、例えば時計、拷問道具(!)、記録された設計図メディア等々。映画にとって「背景」や「小物」というのはとても大切なものだ。物語への没入感の差は、もちろん流れるようなストーリーに巻き込まれることであるが、それを支えているもののひとつにこういった「背景」や「小物」があると思う。

キャラクターがカッコイイ!

次ぎに挙げたいのがキャラクターたちの存在感の大きさと、それがバラバラにならずに見事に調和している点だろう。基本的にナポレオン・ソロ、イリヤ・クリヤキンは当時の性格付けを継承している。すごく意外だったのはナポレオン・ソロ役のヘンリー・カヴェル。今では彼はあくまで僕の中でのイメージだけれど、「マン・オブ・スティール」での「スーパーマン」のイメージが定着している。大変失礼なことに、彼にこんなクールな役が演じられることに驚いた。正直に書くが、新しい「007シリーズ」を作るのなら彼しかないだろう!?と思ったくらい。

で、調べてみて更に驚いた。彼、ダニエル・クレイグ版の「007シリーズ」のオーディションに応募しているじゃないか。落選理由は「若すぎるから」。うーん、すごく納得。ちなみに、ダニエル・クレイグ版の「007シリーズ」も、今までのシリーズとはかなりテイストが変わっていて、それはそれで大好きだが。

パーティなどでクールに振る舞う様子は007のようなイギリス諜報員のイメージ。計算されたカーチェイスシーンなどでも同様なのだが、どこか抜けててお気楽なのはアメリカ諜報員のイメージ。鉄条網を切るシーン、ボートから振り落とされてから陸に上がり、相棒?が後ろでドンパチ苦戦しているのに、ノンビリとワインとサンドウィッチ。いや〜、なんというか「らしい」。この一言に尽きる。

そしてイリヤ・クリヤキンを演じる、アーミー・ハマー。この人、以前に観た映画でも出ていた筈なんだが、イマイチ印象が残っていない。しかしこの役では「過剰なまでに神経質で正義感溢れるソビエト諜報員」が見事にハマっている。頑なに自分一人の力でやり抜こうとする強い意志。それはソロも同じなのだけれど、お互いのキャラクターの違いがとても分かり易い。そして、命令に忠実に、同時に人間として誠実であろうとする彼の不器用なイメージも良かった。その上、優秀な諜報員であることは言うまでもないだろう。

この二人がお互いに少しずつ抜けていて、それを意識せず補っている描写がとても巧く描かれている。

次ぎにキーになる女性、ギャビーを演じるアリシカ・ヴィンキャンデル。まったくノーマークでした、彼女。単にメカ好きな女の子。ただ、父親が核兵器科学者だというだけの・・そんなイメージを持っていた。みんなそう思ってなかった?父親といよいよ対面、同時に組織との対決というタイミングでビビってみせる彼女。いや、それ、ビビってたの?と今では思う。たぶん、イリヤへの想いの方かなとも思えるが。でもって彼女はアッサリと二人を裏切る行動に出る。え?なんで?え?となった場面である。で、それが最後に繋がるわけだが、まさかそうだったとは・・。話しを前に戻すと、東西冷戦においてはイギリスは西側諸国(資本主義諸国)のメンバーとしている。それを考えると彼女の目的は父親との関係以外に他にあるんじゃ?としか思えなくなってきた。それは父親の死にもアッサリとした反応を示したことにもある。しかし、関係が見えない。そこに現れるのがヒュー・グラント(最後の方でやっと気付いた)演じるアレクサンダーの存在だ。あぁ、なるほど。「U.N.C.L.E.」の結成なわけだとやっと腑に落ちる。つまり、ギャビーは「0011 ナポレオン・ソロ」であるところのエイプリル(ステファニー・パワーズ)なんだと気付くわけである。いやぁ、凝ってる。

今回は悪役もなかなか凄かった。もちろん、ヴィクトリアを演じるエリザベス・デビッキの超絶悪役オーラ満開の女性である。セクシー美女系な顔立ちもそうだが、190cmの長身が大迫力。ソロ役のヘンリー・カヴェルだって185cmある。ヒールを履いているとは言え、その彼が初対面の場面で「見上げる」のである。しかも頭脳明晰、冷酷非情。これ以上の悪役はなかなかいないだろう。その存在感は、上記の三人に勝るとも劣らない。よくぞこれだけの役者がバランスしたものだと感心する。

ちょっとコミカルで実は深刻

なんとなくこのバランスは「ミッション:インポッシブル」を思い出すなぁ・・と思っていたけれど、東西冷戦の中にあってこの二人の関係を表し、そして共闘させるには実に効果的だと思った。車が壁に突進して挟まるシーン、そして前述した金網を切るシーンや拷問のシーン、そしてボートから落下した後のサンドウィッチタイムのシーンなどなど。

こういう映画でコミカルなシーンを挟み込むというのは、見る方は意外にあっさりと観ているけれど、実際にはかなり難しいと思う。下手に入れればB級っぽくなってしまうし、場合によってはシリアスで重要なシーンをぶち壊しかねない。それが実に言い「塩梅」に仕上がっている。だって、この映画、欧米人が観るだけじゃなくて、僕らのようにアジア人だって観るのだ。こういうネタをそれぞれに巧く伝えるのはとても難しいと思うんだけど、監督や演出家、そして演技人も見事だと思う。これこそが全世界に配信できる映画のひとつの要素でもあると思う。妙な楽屋オチになっていないと言うか。

そして最後の大ドッキリと「0011 ナポレオン・ソロ」へのオマージュ

そして最後のシーン。ここには二つの大きなシーンがある。一つはお互いのボスに「核爆弾の情報を奪い、必要があれば相手を殺せ」という命令が下る。彼等にはこの作戦を通じて、認めざるを得ない相手への畏怖や仲間意識がある。しかし、組織を裏切ることはできない。そこに用意されていたのが、イリヤの父の腕時計である。

ソロがイリヤの父の腕時計を投げて寄越すシーン。たったこれだけでお互いの緊張していた状況を氷解させてしまう。それぞれのキャラクターを生かし、実に効果的に、実に印象深く、そしてステキなシーンだと思う。これはお互いがお互いを認めたことの証であるだろう。口ではなんだかんだ言ってもそこにはチームの雰囲気が流れている。

そしてそれに加え、単なる核兵器科学者の娘という位置付けであったギャビーが、イギリス諜報員であることを知る。そしてそして、アレクサンダーが「U.N.C.L.E.」のボスとしてチームを引っ張ること、既に次ぎのミッションが決定していることが告げられる。これで「0011 ナポレオン・ソロ」の完成である。いやぁ、素晴らしい。最初の登場でヒュー・グラントであることが分かっていれば、何かしらの示唆を感じたのだろうけれど、まったく気が付かなかった。

おわりに

「またひとつ新しく素晴らしいシリーズに出会えた」が感想である。もちろん難点を感じ無かったわけでもない。お互いが共闘することの意味づけの冒頭のシーンが、非常にサッパリと描かれている点である。しかしこれは時間枠を考えれば仕方がない部分でもあるだろう。その時に、「あぁ、これはもう一度観ないとちゃんと理解できないかも」と感じた。他には・・と考えてみたが、ちょっと思いつかない。とにかくもう一度観てみないと。

ということで、たった今、Blu-rayをオーダーしたところだ。良い作品に乾杯(完敗)!