南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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ヒトの悪意までも伝搬させるネット(インターネットの功罪)

花粉が飛散しているのに、まだまだ朝は肌寒い。調べてみると毎年のこの時期の平均気温とさして違いは無いのだが、3月下旬には桜の開花があり、それを鑑みれば「既に春」という気分がそう思わせるのだろう。ということは、毎年そう思っているってことなんだろうな。(^_^;)

インターネットとは

インターネットとは何か?超、今更であるが一応。

インターネットの仕組み

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/basic/service/02.html

 

  • インターネットは複数のLAN(イントラネット)を階層的に接続したもの
  • インターネットは今は誰もが使える「インフラ」である
  • 接続先は一部のブロック国を除き、全世界的に広がっている

こんな感じだろうか。僕がインターネットに触れたのは今から30年前。まだプロバイダも無くて、各大学、研究機関(僕はここに在席していた)などをシリアル接続によってUNIXのUUCPによるバケツリレー方式でメッセージを流通させる仕組みであった。当然、この時点でリアルタイム通信を踏まえていない。当時使えたのはメール、Newsシステム、ファイルトランスファー(FTP)くらいだったろうか。それから数年してWWWが発表され、初めてNCSA Mosaicで気象衛星の「ひまわり」の情報を見た時には衝撃であった。その後NTTの高田さんの点によって日本語化が進み、その場をNetscapeに奪われ、その接続ラインとしてボランティアベースの研究機関ネットワークを経てプロバイダなどの商用化に繋がる。もっと詳しく調べたければ、Wikiをスタートに、そこから各技術を検索してみれば良い。「インターネット」という道具があるのだから。

 

その後インターネットは、ネットワークの仕組み、セキュリティ、接続先のサービス(主にWebサービス)を発展させて今に至る。

この当時に僕に与えた衝撃は、「これは商売になる」「近い将来インフラとして低廉化される」、「ビジネスも生活もすべてが変わっていく。トラヒックリソースは瞬くまに使い切り、新たな技術の発展と共に全ての足回りは無線化される」、「インフラ化したシステムのセキュリティは商売にならないだろう(標準的に「あるべきもの」となる)」「マネタイズの仕組みはコンテンツに委ねられる」くらいのことを考えるに至った。もちろんその後にも更に新しい技術が生まれているのだが、この時に感じたものは、端的に言えば「これで数年、いや数十年はメシが食えるシロモノ」である。

インターネットの仕組みは簡単に言えば「交通」に例えられると思う。

  • ネットワークは道路
  • 利用者はクルマ
  • ルーティングは交差点と信号
  • トラヒック制御や安全対策はカーナビや「車間通信」「自動運転」
  • サービスは車が行く着くところで利用する「様々なものや行為」

こんな感じだろうか。近年、仮想化(VLAN、SDN、NFV等)などによってトラヒック制御の技術が上がったり、ネットワークセキュリティを守るための各種取り組みなどがある。この辺りの技術についてはJPNIC辺りの記事を読むと良いだろう。慣れていない人にはちょっと難しいかも知れないが、これも、それこそ「インターネット」があるので調べてみても良いだろう。

www.nic.ad.jp

インターネットの功罪

さて、やっと本題に入ろう。今回のテーマは「インターネットの功罪」だ。

分かり易いように、まずは簡単な言葉でインターネットの便利さを挙げてみる。

  • 世界中、ネットワーク接続があればどこの誰であろうがコミニュケーションができる
  • 検索エンジンの発展により、様々な情報収集ができる
  • 充実したWebサービスにより、SNSを始め、ネット販売、ネットゲームなどができる
  • 様々なサービスによって、人と人の繋がりが簡易になった

基本的なところはこれくらいで良いだろう。では次ぎはインターネットの「罪」だ

  • 作為的な有害サイトに誘導されたり、マルウェアなどによって金品の搾取、個人情報の流出
  • 必要でない情報を流され(それは同時にネットワークの混雑をもたらす)、サービスを受けにくくなったり、多くの時間を取られる
  • 情報が集められると同時に、「嘘」を簡単に受け入れられてしまう
  • そしてそれらによって、大きな経済的損失、社会的地位の喪失
  • 人と人との繋がりによって、個人間、または他人とのトラブルが多発するようになった

便利なものには必ずと言って落とし穴がある。それは、「金」が動くからである。何度も書いているが、世界は「経済」と「宗教」と「一部の善意と多くの(場合によっては無邪気な)悪意」でできている。そのもっとも大きい要素が「経済」であることは言うまでもない。

ただ、「経済」とひとくくりにしてしまうと抵抗がある。それは「良いことのため」もあれば「悪いことのため」もあるし、そもそもは人間が行っている活動のひとつである。

ネットが今のようになったのは基本的にこの「経済」であり、人間の活動のせいである。しかし、それに加えて個人の欲求を満たす場にもなっている。例えば、匿名掲示板などの情報交換においては、情報交換の場という機能とともに、同時に「承認欲求の充足」や「他者を貶めることで自身の正当性のバランスを保つ」ような輩も多い。

ただこれは、個人的には「受け側」の問題でもある。受け側が悪いという意味ではない。受けた情報をどう咀嚼し、どう対策するかである。日常会話を考えてみても良い。言葉を受け取るのは感情のある「人間」であり、その言葉をどう料理するかはその「人間」がもつ「人格」が決定するのである。

ここで今の世の中を見渡せば、インターネットの害悪の根源に「人間そのもの」があることが良く分かる。個人的に僕は「性善説」を信じたいが、実体は「性悪説」そのものだと感じている。だからこそ、自分の身の回りを守ることにコストをかけることが必要になるし、自分を守るために「受け側」としての物理的/心理的防御が必要になるのである。

ここまで書けば分かるだろう。要は、悪いのは「ヒトの意志と行い」なのである。

インターネットを利用するための防御

ここで自分ができることをもう少し掘り下げよう。「受け側」防御とは何か。

個人的な意見としてだが、「心を強くもつ」とかなんて精神論に訴えるのはまっぴらごめんだし、そんなもの効果はない。直接的な防御策以外があるとすれば「時の経過」だけだ。

  • 端末システム(コンピュータに限らない)の最新版のソフトウェアを使う
  • マルウェア対策を行う
  • 自分が受け取っている情報は、同時に「世界中の誰もが受け取っている」ものであることから、情報の入手先、発信先に範囲と制限を設ける
  • 刺激的なことは他の情報やシステム、手段、検証などで必ず裏を取る
  • 人との繋がりにおいて、そこに存在する人と実在する人を分けて捉える
  • 基本的に人との接触は最悪も想定し、慎重な距離感をもって臨む
  • 極論としてネットワークとは決別する

ちょっと考えただけでこれだけのことが思い浮かぶ。防御というか、よくコンピュータやスマホのバックアップを取らない人が多かったり、何事かのトラブルが起きると他者を疑うことから始める人があまりに多い。これはインターネットの防御についても同じことが言える。なにかあったらまずは自分の身の回りになにか問題が無いかを洗い出すことが、最も先にやることだ。何事も「すぐに他人のせいにする」ではいけないのだ。裁判沙汰になってコストがかかることもあるし、それをリカバリーするのは並大抵のことではない。

また、人と人との繋がりが容易になったことで、人間関係を元としたトラブルの発生が多くなっている。SNSの「ネット疲れ」のような軽微なものから、そもそも悪意を持って人と接し、誹謗中傷、触れられたくない個人情報の暴露、果ては詐欺行為などもある。だがそれらは悪意だけではなく、中には「オレはこんなこと知ってんだぜ」的な個人の優越や、善意と思ってやっているもの、勘違いした歪んだ正義のためにさえ使われている。更にその問題が大きいのは、個対個だったのが個対多、場合よっては多対多、それも全世界的な「多」に繋がっていることだ。

それと、キッズ用サイトだが、今の大人すらこれができていないので、まずはこれを貼っておく。

www.npa.go.jp

何度も書く。「悪いのは人」なのである。それも個人間で済んでいたことを全世界的なレベルで広げてしまった。正直、人間なんてサッサと自然界から淘汰されてしまえ(自分も含めて)とさえ思える時がある。今は世の中が荒んだ状況でもある。嘘がはびこり、政治は国民を向かず、その国民は要求することすらしない人か的外れの要求をする人がほとんど。場合によっては匿名性を生かして他者を貶めることによって自身の欲求を満たす。そんな世界なのだ。自分を省みて、恥ずかしいと感じ無いのか?いや、感じ無いからこんな状態なのだろう。まずは自分の至誠を律することが大切なのである。この歴史なり人生を正しく真っ当するには。逆に言えば、人間はこういう生き物なのだと実感する。

昨今のネットでの誹謗中傷や、無責任な発言、Twitterでの犯罪の自己語り などもそうである。始末が悪いのは「悪いものを叩いているのだから自分は正しい」という自分を省みず振りかざす偽りの正義感、そしてその裏付けすらない責任感の欠如、更に、それがほとんど全世界に発信されており、一度発言したら取り返しが付かないという事実に気が付いていないことだ。もちろんそれはインターネットのことだけではない。ネットはその状態を全世界に広めてしまった。

最後に

別に他人に警告を与えるつもりはない。自分だって気が付かないうちに似たようなことをしている可能性は否定しないし、今までも似たようなミスもある。ただ、少しでも自覚があるのなら、家の一番目立つところに大きく紙でも貼っておけば良いくらいに思う。

「今自分がやろうとしていることは、自分にとっても、他人にとっても、社会にとっても正しいことか?」

それらを自ら律することは難しいし、それは歴史も、現代の社会も証明していることだろう。ただ、上記に書いたことを常に心に留めておいて欲しいし、具体的物理的な方策があるのなら実行して欲しい。

「ネットなんて無くなれば良い」とは言いたくない。便利な世の中にしてくれたインフラなのだから。せっかくの道具を正しく使い、僕自身が「人間などサッサと淘汰されてしまえば良い」と思わないような世界になって欲しいし、自分もそうでありたいと思う。

 

追記

なんか・・書けば書くほど文章の量が増えて分かり難くなっていくような・・。大変、申し訳ありません。