南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

人生の甲斐に悩む人へ、50代の僕なりの思い

何となく今日は普通に寝て、普通に起きてコーヒーを飲みながらMacに向かう朝。リズムが良いというのは気分も良いね。眠気も無いし寒さのためか爽快というよりは冷たいという気分の朝ではあるが。この時間になると猫達は起きだして、とりあえずご飯をあげて後はストーブの前でまったりしたり、走り回ったりする。猫の可愛さってある種、ズルいと思う。マジで。

 

本当は久し振りに観た「Back to The Futureシリーズ」について書こうと思ったが、気が変わった。

最近、Twitterのフォロワーさんたち、特に40代の方たちの「生き甲斐を感じられない」「人生これで良かったのか」などと言う言葉がチラホラと見える。自分の時はどうだったかなぁ・・と考えたが、自分の時は病気で寝込んでいたので、甲斐というよりも生きる気力さえ希薄だった。そういう意味ではあまり参考にならないかもね。

 

最近は若者の自殺率が世界でトップという悪しき称号をいただいたそうで、そちらはこの問題とは違うところに要因があると考えてはいるが(命に対する軽薄さとか)、いずれにしろ住みにくい社会になったものだと思う。評論家たちがテレビで色々と自説を繰り広げているが、そもそもその当事者になっていないものが的を射た分析できるものだろうか?と疑問に感じる。

それにその対策などが具体策なっておらず抽象的なものが多いとも感じる。企業でそんなことを行ったら評価はダダ下がりでボーナスも減額だろうと関係の無いことを思ったりもする。良いな、気楽で。「お前、サバンナで同じ事言えるの?」ってのを思い出しが、暴言かな?だったらご勘弁願いたい。

 

ただ、今の年齢になって感じることはある。人生とはなんぞや?

 

人生の多くの時間は仕事をしていることと思う。ツイートを見るに、仕事のために人生を生きているような状態、気分になり、人生を楽しめていないことを「生き甲斐がない」と感じているように思える。

現実的な話しとして、自分のやりたことを仕事にしていられる人は非常に少ないと感じる。多くは「生活を維持するためにやむを得ず」であろう。そこにモチベーションを持ち込むことにそもそも無理がある。かといって誰もがやりたい仕事をできるわけではないだろう。幼い頃の時間を犠牲にし、勉強に費やしてそれなりの学校に進学し、就職戦線を勝ち残ってやりたい仕事に就けるものもごく一部、実際にその仕事をこなしてみて現実との乖離にモチベーションを失わずにいられるものも一部。そうやって考えれば仕事にある種の期待を持てという方に無理があるようにも感じる。しかし、そうやって幼い時間を費やした人間はだいたい不道徳だったりするからタチが悪い。もちろん全部がそうとは言わないが。

 

そこは割り切って、仕事は嫌でもお金を稼ぐための手段、稼いだ金で余暇を楽しむこそ人生と切り替えられればまだ良いだろう。ただ、その余暇すら与えられない長時間労働、低賃金、生きるのに精一杯の状況の中でやり甲斐がどうのと言えるのはまだ救いのある方だ。

 

ではどうすれば良いのか?

起業して自分のやりたいことをする?ただそれが生活の安定に繋がるかどうかは分からない。ただ、見えない未来の不安を抱え込むのとどちらが良いだろうか?そこは人によって考えが異なるだろう。なにしろある種の博打に近い。

では、若い頃にもの凄く頑張って貯金をし、早期退職をして後は悠々自適。しかし、その年代にしかできないことは確かに存在する。個人的にはそれは時間の浪費だとも思える。もちろん、価値観の違いによるものであることは認識しているが。

 

結局、理由を誰か、特に政治や社会(一緒だが)、上司や同僚のせいにして(実際にそいつらのせいだと思うが)自らのストレスを軽減するしかないのだろうか。特に同調圧力の強い日本においては名ばかりの優しさと思いやりが蔓延している。本音を言わせてもらえれば、文化の異なる一部の海外の人達の方がよほど思いやりを知っていると、杖を着いて街を歩いていると実感する。だったら都会を離れ、田舎で細々と暮らすのも良いだろう。ただそこには文化的な刺激は少なく(IMAXとか無いだろうし)、地域との関わりなど様々な別の問題を抱える。色々と難しい世の中になったもんだ。経済が止むと人間が止む。政治を司る人達は、そもそも金の出入りを議論する人達なのだ。そこをしっかりと考えて欲しいものだ。そういう立場なのだから。

 

長々と書いたけれど、答えは少ない。

まずは自分の人生をどう描くか、それに対するスキルは何が必要か、現在はどんなスキルを持っているか、社会や会社との関わり、家族との関わりをどう位置付けるか。それを細かく分析し、しっかりと計算された上で適当な落としどころを見付けるしかない。自分なりの「地図」を描くのだ。「絵」ではない。陳腐なもので良いから、実際に手書きでもなんでもまずは描くことが先決。それが今の人生の現状なのだし、そこに社会との関わり方を考える材料がある。それが具体的だと思う。

更に重要なことは、その上で些細なことでも良いから必ず行動を起こすことである。行動を起こさねば何も変わらない。絶対に変わらない。または考え方を変えることでも良いが、それは難しいだろう。人間は簡単に変わりはしない。死ぬほどの経験を持った僕でさえそうなのだ。「明日からこうしよう」なんてのはごくごく少数の、シンプルな考えを持つことができる人間だけだろう。

 

僕の場合は猫と家人との生活を作ったことだ。これが今の僕の人生の生き甲斐そのものである。だから健康を阻害しない条件において仕事にも行ける。まあ、今は阻害しているので休んでいるが、その先はどうするかの「地図」は一応のところ描けている。後は行動あるのみ。そう、「勇気ある行動のみ」か。

 

それでもなおかつ悩み続ける人へ。信頼できる友だちなりを作れと思う。人は独りでいては生きていけない生き物だ。相手が聡明で優しい人なら満点、多少ヌけてても温かい人ならOK。とにかく寄り添ってくれる人がいれば充分だと思う。

 

なんか文字ばかりで申し訳ない。最近の若者は長文を読むのは苦手らしいし、僕の文章が読みやすいのかどうかは分からない。ただ、僕のフォロワーさんが悩んでいるのを思い、ちょっと書いてみた。