南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

適職について考える(それとルナが目を痛めた)

僕はこの時期は毎朝6時くらいに起きる。いや、正確に言えば、猫に起こされるのである。朝ご飯の要求のためである。猫達は日の出を迎える頃になると既に行動を開始している。時間に忠実というか、空がうっすらと明らみ始める頃にムクムクと起き出すのである。すると猫達が枕元に座り、鳴き声や足を使って僕や家人を起こす。不思議と迷惑だとは思わないのは親ばかの証拠ではあるが、猫好きの家庭はどこも同じであろう。

加えて、ルナが目にキズをおってしまい、エリザベスカラーのせいで上手くご飯が食べられない。色々と工夫はするのだが、どうしても手を貸してあげる必要があるからだ。獣医師によれば三日間の辛抱だと言うことなんだけど、なんかこう・・見ている方が辛い。可哀想で。当の猫は不便というよりはうまく食べられないストレスがメインのようだけれども。ルナのイライラがこちらにも伝わる。

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で、こんな時間にブログを書いていたり。

そろそろ病気休職をしてから一応の復帰期限がせまり、一旦の復職をするつもりなのだが結局だめなら仕事を辞め、家でできる仕事を探さなければならないのだろう。一応、色々とできることはあるし、家人が働いていることを考えれば贅沢な暮らしを望まなければ安い給料でもそこそこの生活は送れるとは考えている。しかし、通勤ができない今、どんな仕事ができるだろうかと不安になる。

 

そもそも自分にとって「適職」とはなんだろうか?

 

小さい頃になりたかった職業を考えてみる。昔、ポピュラーだったのは「プロ野球選手」とか「芸能人」とか「パイロット」だったろうか。僕にはそういうことに興味は無かった。「教師」になりたかったのである。

 

理由は色々とあるが、尊敬というよりは大好きな先生がいた。落ち着いて穏やかで優しくて。それでいて厳しい時には厳しく、色々なことを教えてくれた。彼のことが大好きだったし、憧れていたし、彼のやっている教師という職業にも同時に憧れを持っていた。それは高校生になっても深く根付いていて、「人にものを教えられる」という立場に対する憧れになっていく。

加えて、その教師が若くし亡くなったことも関係しているかも知れない。小学生の時に図工を担当してくれた先生なのだが、喘息を患い、40代後半で身体の大きな先生だった。顔が鬼瓦のように怖かったのに、性格は真逆で穏やかで、ひとつひとつのことを教えるのに丁寧に、訥々とその理由まで説明してくれたことを覚えている。当時、ロクに働いてもいなかった父親に反発し、しっかりと職務をまっとうしていた先生に父親の姿も重ねていたのかも知れない。その憧れが出会いからわずか数年で失われる。ショックだった。自分もあんな教師になりたいと強く思った。

 

だが僕は教師にはならなかった。家が貧乏で、母親が昼夜を問わず働き、僕と兄を学校に行かせてくれていた。その感謝の思いは今でも強く残っているが、当時もとにかく早く社会に出て母親を少しでも楽にさせてやりたかった。その一念で大学も行かなかった。

母親を強く強く強く尊敬している。聡明で明るく、道徳的で優しい、それでいて公平で強い母親。おまけに西洋人のような美しい顔立ちをした美人だった。いや、歳を重ねた今でも上品で美しい。その母親が早朝から深夜まで、それこそ身を粉にして子供たちのために働いていたのである。今でも母親は僕にとっての憧れと目標である。

 

僕は安定した職業を迷わず選択した。結果的にそれは母親を安心させ、今も休職していても生活面への安定に繋がっている。ただ、旧来のお堅いお役所的な規律なり文化がある会社で「自宅で仕事」など就業規則には無いのである。いや、正確に言えば、これからその取り組みを始めるところだが。間違いの無いように言えば、介護と育児については随分前から認められているが、障がい者や僕のような「ただ単に足が悪いだけ」というのは現時点で適用にならない。出勤のできなくなった今、何か別の仕事を探さねばならないと考える。

 

「適職」と考えればいくつかの条件があるだろう。

  • 自身のスキルを生かせる仕事
  • できる限り自宅でできる仕事
  • ある程度の収入のある仕事(おそらく10万円程度で十分)

 

すぐに考えつくのはこれくらいだが、大切なことが抜けている。

  • やりがいの持てる仕事

であることだ。日常の多くの時間を割く以上、仕事に対する何かしらのやり甲斐が必要だろう。社会に貢献できている、仕事そのものに愛情が持てる、達成感がある、人によってその辺りの重きは違うだろう。

問題は現状での選択肢が極端に狭められていることだろう。

 

安定した職場で30年以上も働いて転職の経験もない。スキルは身についている。業界の技術に精通し、プログラムも書けるし文章も書ける。仕事の資料を作ることもできるし、ある程度の人脈もある。しかし、果たしてそれだけでやっていけるのだろうか?やり甲斐は持てるのだろうか?こういう環境下にあって「適職」とは何だろうか?何事も始めてみなければ分からない。そんな単純なことを理解しつつも、日々悩ましい日常が今日も顔を出す。日の出と共に。

 

僕の望みは、家人と猫達と残りの人生を有意義に過ごしたいことだ。死ぬ間際に「俺の人生は最高だった。」と言いたい。そのために、今の現状を鑑みて「適職とは何か」をこの短期間に考え、行動し、決めていきたい。いや、決めなければならないのだろう。道は険しい。