南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

そろそろ通勤練習をしないと

病気休暇から1ヶ月と半。とりあえず2ヶ月の診断書なので、そろそろ延長するか復帰するかを判断しないとならない。なので、通勤練習を来週から始めようと考えている。それによって判断を下すわけだ。

 

そもそもなぜ心身の具合が悪くなったのか。

 

いつも書いていることだが、思いやりのない社会や個人への怒りが元凶だと感じている。足が悪くて優先席に行っても座れない。そもそも元気な人で混雑しているから、そのエリアに近付くこともできない。お年寄りや妊婦さんも同様で、混雑具合を見て一般席に移動しているのが見える。

マナーも悪い。優先席に座る人はどうしてあんなにマナーが悪いのだろう?足を組む、荷物を座席に置く、化粧や食事、寝る。何度も書くけれど、見た目でその人の身体状況が分かるわけじゃない。だから自分の足が痛くても声をかけることなどできない。それは僕だけじゃなく、お年寄りだって同じだろう。

 

なのに座ってグースカ寝てる。イヤホン付けて口をだらしなく開けて寝てる。

で、到着駅に着くと起きてスタスタと元気に歩いて行く。小学校からやりなおして来い!と思うし、その怒りが大きなストレスになる。

 

コトは電車だけではない。普通の歩道、駅のエレベーター、エスカレーター、歩きスマホ、自分さえ良ければいい。外を歩いているだけで前に割り込まれる、杖を引っかけられる、身体が当たって転ぶ。しかもそういう人は絶対に謝らない。「譲り合い」など死語だろう。日本人の「思いやり」とか「おもてなし」は単なる同調圧力の結果だと思う。やりたくてやってるわけじゃないのだ。だから身に付かない。

問題なのは、彼ら彼女らは「それに気づいていない」ことだ。これほどタチの悪いことはない。今の日本人はこうなのだ。もうこういったことは法規制でもしてくれないとどうしようもないとさえ思う。

 

結局それで心身がくたびれ、外出することができなくなった。

 

しかし、生活のことを考えればこのままで良いわけもなく、自分の未来の豊かな人生を考えた場合でもこれで良いわけじゃない。とりあえず、できることからやっていかないと。家の中だけで送る時間を「人生」と呼びたくないから。