南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

大人は子供の手本となりたいもんだ

いや、あまりに今更なんだけど。今朝も優先席付近に乗るものの、若干の電車の遅延もあってすし詰め状態。やっとの思いで座席の前に立つもほとんどおやすみ状態か、スマホ。こっちの杖なんかお構いなし。まあ、だいぶ慣れてはいるんだけれど、それでも一時間以上電車で立ちっぱなしで揺られ、会社最寄りの駅に着いてもまともに歩けず。結局20分ほど駅のベンチで休んでから微妙に遅刻して出社。疲れる。

大人は子供の手本とならんといかんと思うんですよ。今日だってガン無視してる連中は薬指にマリッジリングがハマってる。そんなんで思いやりのある子供が育てられるのだろうかと。

まあ、そんなことはいくらでもある。国外では赤信号でも自己責任?で車の往来が無ければ渡るらしいと聞いた。真偽のほどは分からないが、そんなことはどうでも良い。そうやってルールを守らない大人の行動を子供はどうみるんだろうか?と思う。

エレベーターで奥に入り込んでスマホに夢中。まあ、歩きスマホが大量にいるくらいなんだから普通か。で、誰かが乗り込んで来てもみんな奥に入っていって途中でドアが閉まりかけて挟まるとか。街中を歩いていても目の前を横切られて足を踏んだり踏まれたり。杖を引っ掛けられて睨まれたり。お前はすぐに避けられるんだろうが、僕は急には避けられないんだよ。その瞬間に激痛が走って、その場で立ち止まると今度は後ろから突き飛ばされる。これはまあ、仕方がないけれど。こんなことが一日に数回ある。一ヶ月じゃないよ。一日で。

エレベーターと言えば、僕は常にボタンの前に立つ。それはもう子供の頃からそう教えられたのか大人を見てそうしているのかすら分からないけれど、全員が乗り込むまで「開」を、みんなが降りるまで「開」を。ごくたまに「お先にどうぞ。」と言ってくれる心優しい人がいるが、まあ、「稀なこと」である。
駅のエレベーターなんか「お年寄りやベビーカー、身体の悪い人を優先に」みたいに書いてあることが多いけれど、そんなの守られたことを見たことがない。

JRに要望として挙げたことがある。「みなさんの思いやりで成り立っていますから」まあ、当然。別に悔しくもなんともないが、思いやりなんて言葉は死語だぜって言ってやりたい。

街中を普通に歩いていてもぶつかられる。歩きスマホしてれば、そりゃぶつかりやすい。きっと「自分は周囲に気を配ってるから大丈夫」だなんて思ってる。ぶつかったら痛いので、前から来る人が歩きスマホだったら、立ち止まって通り過ぎるのを待つ。またも後ろから突撃される。

順番を守る?ちゃんと列に並ぶ?どこの世界の話?足が悪い僕の前を身体をぶつけながら先に行く人がたくさんいるんだが。

気遣いと優しさ、思いやり、おもてなしの国?どこが?ただ他人と争うことをせず、主張をせず、とりあえず他人と同じように動いていれば良いだけでは?そう思えるシーンばかり。

公共の場で大声で会話する。下世話な話題。譲り合わない精神。そんな大人がたくさんいて、子供がまともに育つとでも?

大人は子供の手本でありたい

自分はそう心がけていて、それでもなお気付かないことはあるだろうけれど、それを差し引いてもひどい世の中だと思う。自分さえ良ければ良い。生き物としては正しいのかも知れない。でもそれは、ヒトとしてはどうなんだろうか?今の多くのストレスはこんなことで埋められているんだと思う。

でもきっと、職場や友人の間では「良い人」として振舞うんだろうな。でもね、人間の顔は人格が作ると言うことを覚えておくと良い。どんな美人でもイケメンでも品性に欠けた表情になる。最近はそういうのをやっと判別できるようになった。

穏やかな毎日を過ごしたいものだ。