南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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アラビアのロレンス

超今更だし、色々なところで撮影の解説、映画自体の評価が出されていて、なんか書くことがあるのか?という気分でもある。当時のDVDや初期のBDでは70mmフィルムを使った壮大な映像を満足に生かされなかったものが、2012年にHDリマスター化されて再販されたことはとても喜ばしいことだった。

確かに値段は高かったが、それもいつの間にかこなれてきていて、思い出したように買ってみた。

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冒頭に書いたように、この映画については書き尽くされていると思う。なので、自分が思ったことだけを簡潔に書こうと思う。ちなみに、短縮されたテレビ版、DVD版で今回が3回目の視聴である。

 

階層社会の悲哀

この映画全体を通して感じるのは映像の壮大さであって、いかにその映像制作が過酷を極めたかということだろうが、そこは割愛。僕自身が最も感じたのは、階層社会の悲哀だ。

これは現代にも通じる序列に対する異端への圧力、または無視だろう。階層社会においては上意下達のルールが絶対である。部下にとって上司は神。下々の者は神を上回ってはならないのである。今の世の中は確かにフラットな組織は存在するし、身軽なベンチャー企業などではその土壌はあるだろう。しかし一種の大企業病を患う多くの企業では未だにこれと同じことがある。

ロレンスは映画の前半で、冒険活劇としてよくできた痛快な活躍をする。多くの天才たちが「変人」とされるように、ロレンスもまた変人扱いをされてきた。しかしそれは、序列を重んじる社会では邪魔な存在であったろう。もちろん全てがそうでは無いのだが、ロレンスの処遇や軍部からの扱いを見ているとそれを感じずにはいられない。ある種の「出る杭は打たれる」なのであろう。

 

世の中は金(権力)で回っている

 

アラブの個々の民族がロレンスの活躍によって統一するチャンスを得た。だが、それは部族間の個々の主張を擦り合わせることはできなかった。それぞれはそれぞれの利益で動いており、結局「どんな得があるのか?」という部分で折り合いが付かない。僕は権力は金に直結していると思う。映画の終盤で民族間の主張が他者を受け入れることをせず、自らの利益のみに固執した結果であろう。ただ一人、アリ(オマー・シャリフ)だけが「政治を目指す」という言葉に自らの強い意志を見せたことが救いだろうか。

世の中は経済と宗教と僅かな善意と多くの悪意で動いている。例えば宗教で折り合いがついても、結局はそこに大きな世界の縮図が見て取れる。

 

人間の内なる狂気

 

ロレンスは「人を殺すことに喜悦を覚えた」ようなセリフがある。人間とはこういう動物なのだと認識できる場面だ。自我を持つ人間だけが、遊びで同胞殺すことがある。人にはそういう内なる狂気の衝動がある。もちろん映画の中では必要に迫られて他者を死に追い込むことがある。しかし、それを「楽しい」と感じることもあるのが嘆かわしくも「人間」なのだと思う。嘆かわしいが事実でもあり、恐怖でもある。

だが、そういう他者との共存において、自らを律してみせるのが人間である証だとも思う。他者を労り、相利共生な社会こそが未来をより良い物にできると信じている。

 

郷に入っては郷に従う

 

ロレンスの活躍は奇抜なアイディアが前面に押し出されているが、実際に大切だと感じたことは「郷に入っては郷に従う」を忠実に実行したことだろう。更に言えば、その中で仲間を重んじ、集団の中において異質であることを認めた上で彼等に溶け込んだことが結果を出した。軍部では疎まれた白人のロレンスが、皮肉にもアラブの民族に受け入れられる。それは彼が自分を周囲とフラットで上下の無いスタンスを貫いたことだろう。そして彼は持ち前の人とは異なる幅広い視野でものを考える能力をいかんなく発揮した。これが前半のロレンスの魅力に繋がっているのだろう。

しかし後半になり、ロレンスは自分自身の欲求、組織での自分の立場、結果的にまとまりきれなかったアラビア民族への失意、それぞれが彼を壊していったのだと思う。

 

まあ、素晴らしい映画である

 

色々と書いたけれど、素晴らしい映画であることは間違い無い。果てしなく壮大な砂漠の情景を見事に伝え、ロレンスの複雑な人間性、人々がまとまることの難しさ、それを支える映像技術と俳優陣。子供の頃に観た時にはよく意味が分からず、面白さは微塵も理解できなかった。こうやって何度も観て、そして何度も感動できる。そういう映画は多くはない。

みなさんも、子供の頃に観た映画を再度観てみることをお勧めする。必ず新しい発見があるはずだ。だから映画は素晴らしい。