南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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ソーシャル・インクルージョン

正直、「菊池桃子さん」と聞いてもアイドルを連想できない。それは単純に子供の頃からあまりアイドルに興味も無かったし、同じ静岡出身の「ピンクレディ」が僕にとって唯一の「アイドル」なのかな・・と思ったりする。

 
事実を書くと、僕には足の他にもいくつか身体に抱えている問題がある。そのうちのひとつが、「過度のストレスによる抑うつ状態」とのことだ。まあ実は、告白すればこの病気とは付き合いが永く、人生の半分近くを投薬に頼り、日常生活を送っている。
さて、この現在における「過度のストレス」は結局のところ足の不具合にある。通勤電車がその主な要因だが、日々、外出するたびに社会的弱者に対する社会の冷たさを実感する。つまるところ、それが心に日々、傷を付けているわけだ。日頃のブログの中でたまにこの手のことを話題にする根源はここにある。
もちろん、弱者だから大切にしろとは思っていない。そういう時代に生まれついたことへの呪詛に似たようなものはあるが、人には人の都合があるのである。
 
で、下記の記事を読んだ。この小田嶋さんのコラムは好きで、いつも読まさせていただいている。
 
真っ先に浮かんだのは「プロは違うな」という悔しさに似た気持ちであるが、書いてある内容については僕が普段考えているのと同じことだと思った。文章力が桁違いであることを実感し、伝えることの技術の差を実感させられる。
 
それはそうとして、僕自身、通勤電車で苦しい思いをしなければもっと自分のチカラを生かせるという気持ちがある。朝に会社に着いて、ヘトヘトな状況からの回復に2時間も要するのは個人のみならず、会社なり社会なりの損失・・と書くと大仰だが・・だと考えている。そういう人は僕だけではないだろうし、実際にはかなりの人が同じ境遇にいるのだろうと予測がつく。そのことをうまく表現できないでいた。しかしこの小田嶋さんの記事は、そういう僕がうまく言い表せないでいたことを、分かりやすく、的確に表現していると感じる。
 
「ソーシャル・インクルージョン」。その先にあるのが僕の望んでいる「相利共生」の世界のひとつのキーワードだと思う。具体的にどういった方策があるかは、それぞれの立場や環境によって異なるのだろうが、国策として推し進められると言う希望が見えた気がするのは時期尚早だろうか。
 
残念なのは、それが成熟したとして、その頃の僕はもう社会的生産性を持ち合わせていない可能性が高いことだ。しかし今はその可能性を歓迎したい。
 
自分なりの言葉だと「迷惑は程度の問題」ということもある。この「程度」に寛容な社会になってこそ文明国(古臭い表現かも知れないが)ではないだろうか。その点、日本はまだ鎖国中のような閉鎖的な雰囲気を纏っていると感じる。それも、ごく個人的な満足のために他者を拒絶なり排外、または無視だ。それは島国が世界の一部であることを認識し、戦争を経て高度経済成長による急ぎ足な資本主義の構築の過程で、他者を思いやるという過去には持っていたものを失ったのではないだろうか?つまり、現代社会への適応としてまだ未成熟な精神や人格しか持ち得ていないのではないか。
そうやって考えると「親切な日本人」「道徳を重んじる日本人」など誰が作った冗談なんだ?とさえ思う。他国のことを貶め、笑っている場合ではない。今は、個々が自らの至誠を省みることが大切であると思う。それが結局自分の身になることでもある。
 
まあ、こんなことを書きながらも、明日も痛い足を杖でかばい、イライラをストレスに変換しつつ電車に乗るんだろうな・・いや、明日は休日であった。我ながらマヌケである。(´ω`)