南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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「乱反射(貫井徳郎)」を読んで 〜理不尽な罪〜

最近、読書熱が再発しているというか、活字にも飢えているというか。以前に買った紙の本はほとんど処分してしまったので、kindleで買い直した本をメインに、それでも物足りなくて電子化されていない、例えば宮部みゆきさんの本とかは仕方がなく紙で買い直したりしている。
 
で、今月になって6冊のミステリーを読んだのだけれど、ちょうど今日、貫井徳郎さんの「乱反射」を読み終わった。
 
貫井さんと言うと「慟哭」のイメージしかないのだが、好きな作家さんの一人でもある。この「乱反射」も概略を読んで面白そうだと思って買ってみたものだ。
感想を書くのはあまり上手くないのだけれど、今は漠然と頭に漂っている不条理のようなものを整理したいと思い、ブログで書いてみようかなと思った次第である。
 
物語を簡単に要約すると、様々な人たちの些細な自分勝手な行動やマナー違反や怠惰によって幼い子供が亡くなるという大事故が起きる。悪意の不在。そのために直接的な「加害者」が存在せず、被害者家族は怒りの矛先をどこにも向けられない。それこそ社会全体を憎むことしか。そんな被害者は事故原因を探るなかで個々の人たちに会い、その身勝手さに怒りを溜め込む。最終的に被害者がたどり着いた境地とは・・という感じだろうか。相変わらず胸くそ悪い人物が出てくるので暗澹たる気分になる。
 
事故原因は本当に些細なことの積み重ねである。誰しも身に覚えがあるようなことであろうし、気が付かずにいることもある。善意でやっていると信じていることが真逆の結果を引き出すこともある。そういう点で読者に自身の行いに対する不誠実を突き付けられる思いにかられる。以前に「至誠に悖る勿かりしか」と言うエントリーを書いたが、自分がそう信じて行動していてもそれが必ずしも良い結果に繋がるとは言えない。それは注意の欠如や想像力の貧困さ、知識の足りなさなどもあるかも知れない。僕自身、想像力の欠如と洞察力の未熟さ、そして誠実さの欠如は犯罪に近いとすら思っているが、だからと言って自分自身が他者から、または社会から見たら必ず正しいのかと言われたら自身がない。
この物語はそういったところを巧妙に突いてくる。自信が揺らぐのだ。
 
だからと言って、これ以上なにかできるかと考えれば、今だって精一杯生活し、社会の一員として生きている自分に更になにを?と問われれば応えに窮すると思う。そういう恐怖に近い気持ちが想起させられる。
 
人生は理不尽に満ちており、社会は必ずしも自分の味方ではない。そう断じて自身を肯定し、防御線を張ってみても実際には大して役に立つようなものではないのかも知れない。それが怖いのだ。
 
しかし、時間は常に一定に流れ、儚い命の残り時間は確実に短くなっていく。何事も負債を抱え込むことなく一歩ずつ慎重に前を向いて歩きたい。それが結局「人生」という積み重ねるものだ。今はこれくらいしか思い付かない。明日も自分が誠実であるように。それを毎日積み重ねていくことが、結局、自分を納得させるのだろう。そう、「納得」なんだな、人生はきっと。