南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

歩きスマホとか歩きナントカとか・・(まあ、昔からそうなんだろうけどさ)

ちょっと前にやたら杖を引っ掛けていっても謝らない人たちのことを書いたけど、この際、歩きスマホは違法にして欲しい・・なんて思ってみたり。

でも、よくよく考えてみたら昔からガラケーの歩き操作はあったわけだし、歩きながら本を読んでる人もいた。二宮金次郎像は本を読みながら歩いている姿をしている。そうやって考えると昔から普通のことだったのであって、僕が杖をつくようになって目立つと感じるようになったのかなぁ?と考えることもある。

でもまあ、ぶつかったら謝罪のひとつも欲しいもんだが。

じゃあ、何が違うのかなと思うと、ひとつは没入感が違うのかなとは思う。歩きスマホは文章だけじゃなくて動画を見ている人もいるし、チャット感覚でSNSをやっていれば歩くことへの意識集中はガラケーとかとは全然違うのかなと思ったりする。ましてやゲームとかもっと集中を必要とするんじゃないかな。

そうやってただでさえ視覚情報の収集を阻害されているのに、SNSしながら音楽聴いたり、動画は当然、ゲームも音声付きでやっていたら、そりゃもう何かにぶつからない方がおかしいと思うわけで。流石に、一度ケガでもしてみれば懲りるんじゃないかとも思うが、ケガをすることを考えるとやはりあまり良い気分じゃない。それは自分でも他人でも。

それと単純に数が多いというのもあるのかな。先日の帰路のこと、前から歩いてくる高校生らしき集団が、2列で6人が全員スマホを見ながら/操作しながら歩いてきて気色悪い気持ちになった。もちろん子供だけじゃない。手本となるべき大人、下手をしたらお年寄りまで歩きスマホをしているのを見掛ける。数は明らかに増えているんだろうな。

世間でもポスターとかテレビ(見ないけど)とかで歩きスマホの危険性について啓蒙しているけれど、こういう意識に問いかけるものはダメだね。そもそも危険だと感じていないんだから。

むしろ機能的に考えて、今のスマホは高性能で様々なセンサーが付いているんだから、GPSや動きに感知して画面をブラックアウトさせるくらいの機能を付けたりすれば良いのに。カーナビなんかだと車が動いていると操作できなくなったりテレビが見られなくなったりするよね。あれと同じで。
まあ、車と人とじゃぶつかった時の被害の甚大さに雲泥の差があるのは承知しているけれど、杖を付いてる人がご年配の方だったりしたら歩きスマホの危険もそれほど大袈裟じゃない気もするし、駅のホームからの転落のニュースなどもあった気がする。

昨今だと自転車に色々と規制が入って、イヤホンをしながらの運転がダメだったり、傘を差して走るのはダメだったり、走行車線の規制もあるんだし。どこぞの国で歩きスマホ専用の歩道があるなんて話も聞いたことがある。だったらやっぱり法的な規制か、人の意識や精神に関係なく、機能的な歩行中の利用不能措置とか一考の余地があると思うんだが。

タチが悪いのは、歩きスマホの連中は「自分はちゃんと周囲に気を配っているから大丈夫」と考えているフシがあるところ。実際、ンなわけない。現に毎日だれか引っかかってくんだから。酔っ払いが「オレは酔ってない」に通じるところがある。そういう人間だから余計に謝らないような連中が多いし、人格は顔に出るということからすれば人相だって「それなり」な顔になるわけで。美しくなりたかったら思考と行動から直せと思う。

先日のエントリーで書いた、映画「ストレイト・ストーリー」でも「殻と実の区別がつくようになった」と言ってたのを思い出す。どんなに着飾って高価なものを付け、念入りにフェイスケアしてもそういう人は「えも言われぬ品格の無さ」が出るもんだ。

だいぶ脱線したけれど、「歩きスマホ」を是非根絶して欲しい。できれば「歩きタブレット」も「歩きPC」も「歩き読書」も。