南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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自由を腐らせるな(終戦のローレライ)

先日、家人が家にある映画、「ローレライ」のDVDを観たいと言い出した。そう言えば随分観ていなかったよなぁ・・と思い、一緒に観た。

だが違う。「こんな物語だったか?こんな単調で奇抜でアクションだけを抜き出した映画だったっけ?」そういう思いにとりつかれ、Kindle版の「終戦のローレライ」を買って、先日一気に読んだことは前のエントリーでも書いた。読み終わってみると、映画では全体の100分の1も書けていない印象だし、本来伝えたかったことをまったく伝えていないと感じたので、このエントリーを起こしてみた。ちなみに、物語にはあまり触れないがご勘弁を。気になった方は小説をお勧めする。

 

設定としては、はぐれ者たちを集め、特殊探知装置、「ローレライ」を搭載した潜水艦「イ507」が、大人の都合で起こした戦争の帰結において、日本のあるべき終戦の姿を妄想し、東京に原爆を落とそうとした極秘裏に起こされた計画を阻止する物語である。もちろん奇想天外、特殊な探知装置ローレライの話も面白いのだが、胸を打ったのはそこではない。

 

大人の都合で自由を奪われ、戦争に駆り出された若い命を土壇場で生に繋ぐためにイ507の搭乗員たちは2人の若い搭乗員を小型潜水艦で戦域を脱出させた。2人は共に最後まで闘いたいと願ったが、もうこれ以上子供たちにばかり頼るわけには行かないと。大人がちゃんと責任をとらねばと。その時に船長が、技師が、鬼の掌砲長が2人に投げかけた最後の言葉だ。

 

「水とお天道さん、それにちょっぴり栄養のある土があれば、人間どこだって生きていける。好きな場所で、好きな女と暮らして、子供を育てろ。たくさんの人と交わって、子供に誇れる世の中を作るにゃどうしたらいいか、じっくり考えるんだ。≪中略≫

せっかく手に入れた自由を腐らせるんじゃねえぞ。

 

今の世の中。息が詰まるような、個々の利益を国なり企業の利益と言葉を換え、経済を主体として回している偏利共生な世界。自分さえ良ければ良い、他人なんかどうでも良い、自由とは他人に構わないで自分のやりたいことだけやれば良いと考えている人達。場合によっては他人のものなら奪っても良いと考える思考回路。これが腐った自由でなくてなんであろうか?

 

せめて、自分自身だけでも、周囲の人達と共に生活し、触れあう人達への優しさを持って接し、それでいて自分の足でしっかりと大地を踏みしめる。そして「成りたい自分になる」ことが自由ではないか。

 

説教くさいことを書いたが、大昔の本を読んでも、今の本を読んでもそこに書いてあることの意味は同様であり、これが真理なのだと信じたい。「今の若者は・・」なんて言葉は数世紀前からある。実際には変わりはしないのだろうが、せめて自分はそうありたい。そう考えることが同じように周囲に浸透し、真の自由にたどり着けたら・・そう願って止まない。

 

なんか「キレイごとだな」と言われそうだが、大まじめにそう思っている。

休日ももう終わり。休みが終わるのは早いね。せめて穏やかな夜を過ごし、明日を爽やかに迎えたいものだ。

 

追記

ちょっと思い出した。先日、家人がトンカツの持ち帰り店で注文をし、待っていたところに小学校高学年くらいの子供を連れた母親が来た。子供は店の中でも自由奔放。駆け回った末に家人の足を強く踏み抜いて行った。頑丈な家人もそれなりに痛かったらしく、「イテッ!」と声が出た。だが当の本人はポカーンとするばかり。母親は子供に「も−、ダメじゃない、暴れちゃ」と言っただけで家人の顔も見なかったらしい。

家人はその母親に「叱る前に謝ることが先じゃないですか?それに、その子にも謝ることを教えてあげて下さい。子供の手本になるべき大人がそれじゃダメです。」と静かに言った。今度は母親がしばらくポカーン。間を置いて子供の頭を無理矢理下げさせ、理由も言わずに「ほら、ごめんなさいしなさい!」と言ったそうだ。もう今の世は親からして腐ってる。子供がまともに育つわけがない。