南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

プリデスティネーション(ネタバレあり)

この映画は事前知識なしで観たの方がダントツに面白いと思う。僕自身、「タイムスリップもの」程度の認識で、イーサン・ホークが出てるってので観た経緯もある。

 
以下、ネタバレしつつ感想を書いてみる。

 
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最初に思ったのは「やられた!」って感想。
今までこういう映画、ちょっと無かったんじゃないかな?タイムスリップものについては以前にも「プライマー」「バタフライ・エフェクト」「プロジェクト・アルマナック」そして名作の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と色々とあるんだけど、すべてがたったひとりの主人公で終わりのない苦しみを描いた作品だと思う。
 
原作はロバート・A・ハインラインの「輪廻の蛇」という短編小説らしい。まさにこのタイトルが示している。蛇が自分の尻尾を噛む。そんな印象だろうか。確か、手塚治虫氏の「火の鳥」でも似たような物語があったように思う。今思えば、オチが気付く点がいくつかあった。何となく出だしの突飛な「私がまだ少女だった頃・・」から始まる男の独白。この時点で色々と気付くんだろうけれど、逆に考えればここで気付かなくて良かった。でなければこの映画を最後まで前のめりで楽しむことはできなかっただろうから。
 
蛇足だけど、最近はどうも映画のそういったオチや意味を考えつつ推理したりする癖が付いていて、それはそれで映画の醍醐味のひとつだとは思うのだけれど、何となく考えが変わった気がする。今回、映画の時間軸に沿って起きるできごとを追い、ストーリーと一体化してこそ感情移入ができるものだとも感じた。
ただ、それだと張った伏線に気付かず、もう一度見直す羽目にもなるのだが、それはそれでアリだろう。事実、他のことを考えずに一気に最後まで見入ったのも久し振りな気がする。
 
伏線はたくさんあった。冒頭の任務の結果、まったく違う顔になった主人公と精神に異常をきたしつつあること、他の誰かを示唆する「少女だった頃」というセリフ、不自然に出会った男との関係、本人が捨て子であったことと、自分の子供が育児室からさらわれたこと・・数え出せばキリがない。もう一度観れば更にたくさんの発見があるだろう。こういったタイムスリップものには良くあることだけれど、映画館だと見直すことができないのが厳しいところだなと思うのと、これでBDとか買う人がでるのかもな、なんて気持ちもある。今の自分自身、もう一度観てみないといけないなと思っている。
 
ただ、こういう映画に付き物の矛盾も同時にたくさんある。歴史を大きく変えてはいけないと言いつつ、爆弾魔の犯行を止めようとしたり、意外に多くの人と干渉したりしている。また、自分自身と性行為とかも、できるのだろうか?俺だったら無理だ。両性具有から男性になった際の傷痕も不思議に思わないのだろうか?とかとか。
 
それでもなお、途中での疑義を挟まず最後までのめり込んでいたのは、ストーリーの展開のみならず、俳優陣、といってもほぼイーサン・ホークとサラ・スヌークだが、彼らの演技が素晴らしいと言うこともあるだろう。特に最初はサラ・スヌークの独白で始まるのだが、そのキャラクターと語り口調にまったく飽きを感じなかった。一緒に観ていたウチの家人は最初にサラ・スヌークを本当に男性だと思ったらしい。淡々と話す口調には軽薄さがなく、積み重ねてきた暗く重い人生の歴史を感じるし、時折見せるブラックなジョークも本人がどういう境遇であったかを示していると思う。素晴らしい。
 
2時間未満の短い映画だったけれど、時間と周囲の騒音を忘れる、そういった映画であったと思う。