南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

人生は楽しんでこそである(仕事を辞めたくなったら)

まあ、誰にでもあるものだね。僕が新入社員だった30年前には「3日、3ヶ月、3年」が辞めたいと思う周期だ・・なんて言われたもんだ。

 
で、入社30年をとうに過ぎた今の僕が退職を考えているわけである。理由はいくつかある。
  • 足の痛みで毎日の通勤が無理になってきたこと
  • 社会の世知辛さが耐えられなくなってきていること
  • そのせいか、強い怒りの衝動が抑えきれなくなってきたこと
  • 会社の方針として能力偏重主義になっていること(人格など二の次)
  • 周囲の雑談が非常に多く(それも中二的な)、イライラが常にあり集中力が欠如していること
 
こんなところだろうか。
 
そもそもだ。毎日イヤな思いをして通勤し、会社でもずっとイヤな気分を引きずり、自宅に戻ってやっと家人と猫たちとの夜の僅かな時間だけが人生の楽しみだと気付いてくると、その毎日の多くの時間の無意味さを感じ、それに加えて自分の年齢から人生の残りの時間が見えてくると、残された時間くらい自分の人生として楽しく、意義のある毎日を送りたいと思うものだろう。まあ、それすら麻痺してしまったら最悪なのだが、今はまだ大丈夫のようだ。昔は仕事そのものも、職場に行って同僚と接することすら楽しかった。今は偏った能力主義のせいなのか、世の中の世知辛さなのか、とにかくそんな時代じゃないのだろう。
 
さて、仕事を辞めたくなったらどうするのか?
 
いくつかの選択肢とその選択肢を阻害する要因があるだろう。若ければ選択肢が多く、悩み、考える時間もあるだろう。転職の再々々選択の道もある。誤った道を正すだけの時間もある。家族を持てば固定的な収入のために辞めることを断念し、継続するという選択肢だって悪いとまでは思っていない。家族を守ることは大切なことだし、それはそれで幸福なことでもあると思う。
経済面も重要だ。豊かな生活は豊かな心も培われるものだ(違う人もいるが)。親切な人はやはり経済的なり心理的に適正な余裕があってこそだとも思う。だからこそ他人に温かく接することもできる。そういう意味でも経済的な要因は本来ならはずせない。
更に言えば僕には身体と年齢のハンデもある。
 
でも・・だ。
 
それですら「自分の人生が幸せであってこそ」だ。僕の昔からの親しい友人である弁護士が、家人に対して言ったことがある。社との関係が悪化し、相談した時のことである。「まずは自分が幸せになることのみを考えて下さい。同僚とか会社とかどうでも良いんです。そんなもの、自分が幸せになってはじめて考える、考えられることです。」と言った。以前から僕も家人には言っていたのだが、弁護士という肩書きは思った以上に効果的だったようだ。まあ、家人は性格的に少し極端なところがあるのが心配ではあるが・・。
 
と言うことで、僕は残りの人生を楽しむために本年度で退職する決意を固めた。次の仕事についてはいくつか考えているし、最悪、息子の会社を手伝っても良いかなと思う。その時分には家人の仕事も安定しているだろうし、現在、それに向けた準備も色々としているところである。まあ、未来は変わるものだから、まだ何があるか分からないけれどね。
 
踏ん切りが付いたら、肩がスッと軽くなった気がする。つくづく身体は精神の入れ物なんだなと思う。