南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

自分のために生きるのだ

ツレが介護職に転職するために、前職を辞め、色々と資格を取得したり勉強している。毎日それを茶化しつつ、微笑ましく眺めている。

 
ツレの仕事へのモチベーションは人生の「それ」というか「誰かのためになること」である。こう書くといかにもモノを知らないコゾーの戯言と思えるのではあるのが、ツレは大真面目だしそもそもそういう性格なのである。43歳。決してコゾーではないだけの経験もある上での決断である。会社に遅刻ギリギリでも見ず知らずの腰の曲がったバーチャンに走り寄り手助けしようとする・・そんなタイプである。
 
介護については現在その制度変革的な面で旬な話題であるのだけれど、あまりストレスを溜めるなと言い聞かせるために、いつも言っている以下のことを噛み砕いて説明してみた。
 
世界はほとんどの経済と一部の宗教観と涙ほどの善意で回っている
 
と。そこに「悪意」とつけないのが僕らしくないのだけれど、ツレがそうやって自分のための人生を歩みはじめ、その意義を貫こうとする姿勢は僕のように大手企業を選択し、生活費をひねり出すことに執着している目からはとても眩しく映る。もうツレの目が直視できないほどに。だからこそ、自分ができることを正しく理解して欲しいと思ってのひとことだったわけである。
 
僕自身も勤続30年を超えたあたりから自分の人生はなんだったのだろう?とよく考えるようになった。今更感は当然拭えないが。せめて息絶える瞬間に、「オレの人生には意味があった」と思えるようにしたいものだ。
 
そう。とりあえず今の仕事を辞めよう。自分(とルナとツレ)のために生きるのだ。