南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク

先日、札幌で開催されたダイアログ・イン・ザ・ダークに参加してきたので感想を書いてみようと思う。

このイベント自体は東京でも定例化されているもので、端的に言うと一切の光を遮断した空間での人間の感覚や行動、それに8人という少人数でのチームでの行動になにを感じるか・・という雰囲気だろうか。

最初に結論を言うと、僕には暗闇は安心の材料だったようだ。当初は暗闇におかれた場合に持病のパニック障害が顔を出すのでないかと不安になったが、それは杞憂だった。むしろ暗闇の中で鋭敏になった聴覚に馴染む穏やかなBGM、会場に設置された枯れ葉や木で造られたブランコなどの「におい」が不思議と落ち着く空間にしていたのかも知れない。
さらに不思議だったのが他人に対する安心感だろう。そもそも人間は他人を評価する場合にはその外見からの先入観で良い人か悪い人かを直感的に判断している。その情報がなく、暗闇に置かれると周囲を確認するためにチーム内の人達が発する声を頼りにするしかない。そこには初対面でありながら暗闇という状況において相互に信頼関係を積極的に築こうとする意識に基づいた穏やかな声が安心と響いたのかも知れない。
それに加えて同行してくれた友人の存在もある。おそらく僕自身が独りであれば同様の感覚を持つことは難しかったであろう。彼がいたからこそ、僕は守られているという安心感を維持できたのだと思う。

さて、個々の要素についても書いてみよう。暗闇の中では視力が奪われている以上、他の感覚でそれを補うしかない。つまり、聴覚や嗅覚、触覚がより鋭敏になっているはずという先入観もあるし、実際に耳から入る情報にこれだけ注意を向けることは普段ないだろう。その意味ではそれは正しい。ただ、そのイベントに参加しているという過度な意識が余計な「色」を付けていると感じる。その意識をフラットにするのにはもう少し時間が必要だろう。

それでも感覚は鋭敏になっているのは感じられる。一番驚いたのは友人と暗闇の中で会話した時のこと。僕の身長は162cm、彼の身長は169cm。普段の会話の中ではこの身長差を感じることは無いが、暗闇の中から聞こえる彼の声は明らかに上から聞こえる。おそらく距離や場所、声の質なども含めておそらくはずっと鋭敏に受け取っているはずだ。これは新鮮な驚きだった。

他にも触覚が鋭敏になっており、木製のブランコを暗闇で触ってみれば木でできていると感じることができる。ただ、ここでハタと気がつく。普段は触覚だけではなく、視覚でそれが木製であることを確認しているため、その触覚を検証することができない。全盲の人達はいつもこういった不安を抱えているのかと感じることができる。

さて、僕はこの体験から何を学べば良いのだろうか?暗闇が人の感覚を鋭敏にすること?全盲の人達の日頃の苦労をわかること?この辺は人それぞれだとは思うが、僕が感じたことは人との信頼関係の結び方だと思う。日常では人との信頼関係を築こうとした場合、まずは視覚からの情報を頼る。それを間違いだとは言わないが、発する声だけを頼りにしようとした場合、まずはその人を信頼しよう・・いや、信頼せざるを得ない状況に置かれることが分かる。その時に、他人は信頼を前提として受け入れた方が精神の負担が少ないことを感じ、それが安心に繋がるのだと言うことが分かった。
もちろん、現実社会の中で他人を信頼するのは難しいだろう。しかし、僕が抱える「人を信じることができない」という状況が如何に大きなストレスを抱え、住みにくい世の中をより住づらくしていることが分かった。これが何かのきっかけになれば・・そこまで大上段に構える気持ちは無いが、心の隅に置いておきたいこと・・そう位置づけることにした。

最後に、このような機会を与えてくれた最愛なる札幌のTくんに感謝したい。

以下はダイアログ・イン・ザ・ダークのURL
http://www.dialoginthedark.com/