南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

すべては己の脳が行なっていることである

「すべては己の脳が行なっていることである」。これは以前から僕が心に留めていることでもある。自分が見ている景色も、悲しみも喜びも、怒りも慈愛も、そして幸せも不幸も。全部自分の脳が作り上げているということだ。とすれば、それ自体をある程度自身でコントロールできるハズなのだと思う。

それでいてもなお、この人生という名のトンネルを迷いなく進んでいくのは相当に難しい。で、先日、ある記事を読んだ。

なんだろう?自分が考えていた通りのことなのに、他者の記事を、コトバを読んで、妙に腑に落ちた。そうなんだよ、自分が不幸だと考えているのは、己の心の持ちよう、もっと言えば「寛容さの不実」が招いていることなんだと。

そういう意味ではこの手の記事はネットで多く見つけることができる。これなんかもそうだろう。

「いやいや、それをコントロールするのがそもそも難しいんだろ?」と言われれば、たしかにそうだ。先の記事でも、筆者は88歳にしてその境地?に達したということで、逆に言えば、その程度の年齢を重ねてみないと分からないことでもある・・なにか、そう言われた気もしたのだ。アタマでは以前から分かっていた、でも、それを実践することができなかった。その具体例のひとつが「寛容さ」だったのだと思う。そして、それは他者の行動自体も変化させるものだとも思う。

考えてみてくれないだろうか?自身のひとつの行いだけではなく、他者のひとつの迷惑も、自身の寛容さでその姿を変容させることができる。すべては己の脳で起こっていることなのだから。

世知辛ない世の中だと感じる。息苦しくもあり生きづらくもある。だったら、自分自身の受け止め方で、それを軽減できる・・のであれば、これを実践しない手はない。だって、自分の幸せのためなのだから。今、少し気分が軽い。自分がコントロールしているという実感は、良き未来への兆候なのだと思う。