南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

猫とガジェットと映画と小説の毎日です。

【ネタばれあり】映画館でこそ楽しめる映画が増えたと思う(映画:アベンジャーズ インフィニティ・ウォー)

GWが間近・・というか、これを書いている時点ではすでに突入しているのだけれど、そのせいか大作の上映が多いような気がする。先週の「Ready Player One」もそうだったが、今週は「「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」だ。僕と家人が行く映画館はあまり混まない。IMAXなんだけどね。それでも、スターウォーズの頃から少し様相が変わってきたなと思う。単純に混んでる状態が多くなった。個人的にはあまり嬉しい話ではないんだけれど(疲れ方が全然違う)、映画ファンとしては映画を楽しんでくれる人が増えているのが目に見えるようで、とても嬉しい。

思うに、ここ数年、映像と音響の進歩が目覚ましいことが理由としてあるんじゃないかな。特にIMAX 3Dで映画を観た時の「没入感」はかなりスゴイ。以前では自宅に大型テレビと7.1chのAVシステムがあれば、それなりに楽しめたんだけれど、ここのところの「アトラクション・ムービー」を楽しむのには少々・・いや、かなり・・かな、物足りなくなったと感じている。それは兎にも角にも映画館での上映との、もう圧倒的な差が無視できないくらい大きくなったということなんだろうと思う。

人の多いところは苦手で、劇場に足を運ぶのも当然苦手だ。しかし、これからはそんな機会が増えるだろうな・・と、今回の「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」でも強く感じた。

宇宙の誕生とともに生まれたエネルギーの結晶である6個の石、インフィニティ・ストーン。それぞれは空間(スペース)」「現実(リアリティ)」「時間(タイム)」「精神(マインド」「力(パワー)」「魂(ソウル)」そして「時間(タイム)」を司っていた。それらを集め、無限の力を手にし、宇宙の生命の半分を消し去ろうとするサノス。彼の野望を、アベンジャーズは止めることができるのだろうか?

こう見ると、単純に勧善懲悪なキャラクターの位置付けであると感じる。しかし、映画を観てみると、それはあながちそうとも言い切れない気もしてくる。増えすぎた生命は宇宙の過剰な侵食を推し進め、結果的にそれは宇宙を滅ぼす。サノスはかつての自分の住む星の惨状を目の当たりにし、宇宙を守るためにインフィニティ・ストーンを集めている。非道な手段を使ってでも・・そう思えるからだ。彼の「生命を半分にし、宇宙にバランス」をもたらすという行為で消滅する人々は、作為的に選ばれた人たちではなく、貧富の差もなく、自分自身もその例に漏れない。それを必ずしも端的な「悪」だとは僕は言い切れないからだ。

現在の地球においても同様の問題はある。コミック「YASHA」で、遺伝子操作の結果生まれた新人類である静と凛の2人の兄弟の戦いで、凛が加担していようとした人類の人口の調節をする致死ウイルス・・それに思想感が似ていることを思い出す。また、「寄生獣」でもそれは同様だ。「生命を他者の一方的な思いで断つことは悪である」と学んできた自分たちには、それはやはり「悪」に映るが、同時に端的な問題解決の一手段であることも考える。サノスは己が悪となり、それを完遂しようとしている・・と、そう見えてもしまうのだ。

それに対するアベンジャーズは、圧倒的なサノスの力の前にはあまりに無力だ。個々の力を発揮し、それを防ごうとしても次々にインフィニティ・ストーンは奪われていく。そして遂に石はサノスの手に渡る。生命の半分の消滅が始まった瞬間だ。アベンジャーズは負けたのか?サノスも死んだのか?(と、最後のシーンでそうとも取れる)

ここで気になるのは、タイムストーンを使い、自分たちが勝ち、宇宙の半分の死滅を回避する方法を模索していたDr.ストレンジである。彼のシミュレーションでは何百万回の中でたったひとつ、勝つ方法があると言った。それは映画の進行で成されているのだろうか?次々とヒーローを含む多くの人々が、黒い砂塵と化す中で。それがひとつの希望でもある。そして、破滅の実行をしたサノスが、自ら手にかけた愛する娘、ガモーラとの邂逅。それが意味するものは。更に、アベンジャーズの指揮官であったフューリーが消えゆくなか、どこかにエマージェンシー・コールをしていた。あのマークの示すものはいったいなにか?(これは、本国のマーベルファンには有名なマークらしい)

当たり前だが、これは次回作の存在を示唆しているし、当然、作られるのだろう。しかし、それでこの映画が中途半端なデキになっていないのがスゴイ。迫力の映像と次の展開を前へ前へと進める映像に心が鷲掴みにされる。約150分の長丁場も、終わってみればあっという間だった。劇場でこそ楽しめる映像と音響、そこに存在する多くの謎、そして宇宙で失われていく多くの生命の行く末は・・。

さて、映画を観終わって冷静に考えると、やはり多くのストーリーを詰め込んでいるために、キャラクターたちの活躍が少し希薄・・というか無理やりな感じはある。しかし、それを最後まで見せ切るチカラが凄い。先週の「Ready Player One」の大迫力、そしてこれから放映されるいくつかの大作も含め、この映画の「行く末」を見たいという強い感情が残る。映画とはこういうものだろう・・と、思える作品であった。

ただ、ここのところの3D映画で、若干「見づらい」と感じる場面がいくつかある。字幕の距離感が急に変わったり、3Dの立体感に微妙な違和感を感じるシーンがいくつかある。アレは意図的なものだろうか?個人的にはそうじゃない気がしていて、今後は修正して欲しいなとも感じた。もちろん、劇中では些細なことだが気になったことだ。

今回のアベンジャーズでは、あまりヒーローが多く、映画自体がゴチャゴチャと無秩序になるのじゃないかと不安だったが、それは杞憂に終わった。ちょっとコミカルな「アベンジャーズ風?」は健在であったし、次回作が楽しみであり、同時にこれからの他の作品たちも楽しみになった。そんな作品であったと思う。劇場で観て良かった。心からそう思った瞬間である。