南瓜の馬車 〜いいわけでも許して〜

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【ネタバレ】映画:「あるスキャンダルについての覚え書き」

なんというか・・ジワジワと真綿で締め付けるような恐怖が広がる映画だと感じた。

ロンドンの中学校の教師である初老のバーバラ(ジュディ・デンチ)。同僚教師として着任したシーバ(ケイト・ブランシェット)は、美しく清楚で透き通るような肌の美女だった。彼女に興味を持ったバーバラは、ある日シーバが生徒との情事に溺れていることを知る。猫と二人の日々を続けるバーバラにとって、周囲の人間の秘密を知り、それを日記に書くことは孤独を埋める手段でもあり、同時に美しいシーバに対する偏愛を満足させることであった。そしてバーバラは徐々にその執着を強くしていく。

 こう書くとものすごくオドロオドロしたサイコパスの話だと思える。もちろん、バーバラはサイコパスであり、以前にも同様に孤独を埋めるために近寄った同僚女性教師から訴えられている。しかしその描写は淡々としており、ともすればその辺にいるような老女にしか思えない。

 

孤独を埋めるために黙々と周囲の秘密を書き留めていくバーバラ。そしてその秘密を使って周囲の人間をコントロールし、自分の思う展開へと誘導していく。サイコキラーではなく、本当に身近にいるような人間が返ってその異常性と恐怖を際立たせる。同時に、バーバラの孤独、特に飼っていた猫が亡くなった辺りから彼女は暴走し始めるのだが、それも普通にありふれているような光景である。


だがしかし。ありふれているが故に、そして身近であると同時に、バーバラが持つ「強烈なまでの孤独」に感情移入してしまう。これは誰もがそうだとは言わないが、一度でも孤独の悲愴を覚えたものには理解できることだと思う。もちろん僕もその一人だ。いつしかバーバラに心を引かれ、その行動が現実離れしていないが故に、自分が同様の行動を起こしているような錯覚を感じる。そしてそこに存在する悪意のない罪に恐怖するのだ。

 

じっとりとした視線をシーバに向けるバーバラ、自宅で眠るシーバの足に触れようとするバーバラ、シーバの手を取り、指をユックリと這わせるバーバラ、そして一人で湯船に浸かりながら孤独を確かめるように思いを巡らせる姿に、自分の中の狂気を逆なでされるような気分になる。

 

また、人があまり出てこない上に、バーバラことジュディ・デンチとシーバを演じるケイト・ブランシェットの重厚かつ自然な演技がさらにこの狂気が「普通の日常」に見える。二人ともオスカー女優らしい演技力であるからこそだが、観ている間はそんなことすら忘れてしまう。画面の中で繰り広げられる狂気を帯びた日常、そしてそこに自分自身を投影してしまうだけの吸引力・・というか、執着だろうか?・・がそこにある。

 

最後のシーンで、再び新しい「獲物」を見つけ、声をかけるバーバラ。ここまでの物語に引き込まれた人は、その姿に恐怖を感じない人はいないだろう。これから始まる新たな悲劇を感じて。そして新たな日記に綴られる秘密について。